日付: | 2016年3月20日 |
場所: | バルティス―レドニス世界遺産_1(Valtice−Lednice) | 地域: | モラビア地方(Moravia) チェコ共和国(Czech Republic) |
訪問地: | Czech Republic---, Mikulov, (Iron Curtain Trail), Valtice, Lake Hlohovecky Rybnik, Lake rybnik Nesyt, Mikulov |
|
3月中旬、特別な日でもない。ただ、ホテルは多くの人が宿泊していた。ほとんどが家族連れだ。
車をホテルの駐車場に停めて出発。一路、南へ向かう。
思うに、チェコ側の道路は荒れている。地方道に至っては継ぎ接ぎだらけだ。これならまだよい。自転車道となると、隣国オーストリアと比べると格段に劣る。 オーストリアとチェコ、人口は850万人と1000万人。やはり国力の違いか。そういう目で田舎の家並みを観ると、どことなくみすぼらしい家が多い。 残念ながら、天気は今一つだ。雲が空を覆っている。太陽は見えない。救いは風がなく、特別に寒くはないことだろうか。 |
![]() |
|
スロバキアからチェコ(かってのチェコスロバキア)とオーストリアとの国境に作られた自転車道だ。
恐らく、かっての冷戦時代には、フェンスで国境近くが閉鎖されていたのであろう。
文献で「鉄のカーテン」を調べる。高さ2m〜3mのフェンスや壁が、東側諸国と西側諸国を6,800kmに渡って作られていたという。
1949年に東ドイツと西ドイツを区切ったのが始まりで、その後1989年まで40年間、東西を区切っていた。
今は、かっての国境には何もない。自由に行き来が可能となっている。壁かフェンスの名残りでもないかと注意して観てみるが見つからない。 写真の後ろの奥側に見えるのが国境検問所である。目立つジャンバーを着た3人の警察官が、チェコ側に入ってくる車を、時折、停車させている。 オーストリア側には、まったくなにもない。 |
![]() |
|
「鉄のカーテントレイル」に沿って進む。数キロ、東に向かって走ると何やらのオブジェが現れた。
なんだろうと思い、近づいてみる。近くにこのオブジェを説明する看板が立っている。チェコ語で書かれていてよくわからない。
ただ、この国境沿いで死んだ方々の慰霊のような雰囲気だ。鉄柱は54本あるという。高さは8m。
鉄柱の一本毎に、名前と西暦が鉄骨の表面に射貫かれている。目につくだけで没年として、1963年,1954年,1956年,1956年,1956年・・が続く。 今から60年も前のことだ。鉄のカーテンができた初期に亡くなられた方が多いように見受けられる。 |
![]() |
|
自転車道を進む。道脇に、どうだろう500m毎くらいに、危険を冒して国境を超えた人達の脱出方法が書かれた看板が並んでいる。なるほどと思う方法ばかりだ。
例えば潜水服を着て潜った人(写真の人)。鉄道の下に抜け道を造りそこから逃げた人。送電塔に登って送電線を伝わって逃げた人。気球で国境を越えた人など、よくぞここまで考えたものだと思う方法ばかりだ。
国境を越えた人達のその後が書かれており、大体は米国に住んでいるようだ。
ただし成功した人ばかりではなくて、沼地で発見されて銃殺されてしまった人もいる。ある看板には、銃殺された直後の写真が掲載されている。これは無残だ。 思うに、発見されてしまったら銃殺されかねない脱走を行う心境とはどういうものだろう。どういう境遇に置かれたら、そのような気持ちになるのだろうかと考えた。 例えば犯罪を犯して、又は濡れ衣を着せられてしまい、捕まれば死刑しかないという場合だろうか。 平和な国に60年間、のほほんと生きてきた自分自身がわからなくなってきた。 |
![]() |
|
2週間前もチェコを自転車で走った。その時に、チェコ側の一区画当たりの農地の広さに驚いた。
と言うことで、少し調べてみた。Wikipeida辞書は語る。なんでもチェコは、EUで農民一人当たりの農地面積が最大だとのことだ。 このことは遠回しながら、一区画当たりの農地面積の広さを説明できるような気がする。なるほどと思う。 ただし、チェコの農業形態は、集団農業の名残りだろうか、農民が組合に属して計画的に農作業を行っているようだ。 でないと、こんな広大な農地は、例えトラクターを使ったとしても一人で農作業をすることは大変だ。 |
![]() |
|
バルティス(Valtice)の町にだんだんと近づいていく。すると遠方に、窓ガラスわれているようなみすぼらしい建物が見えだす。
最初は、倒産したホテルかなあと思った。このような光景は至る所で見かける。近づいてみる。すると様相が少し変だと気付く。
なんと、冷戦時代の遺物である国境検問所跡だった。みすぼらしく見えた建物は、検問所に付随する宿舎のようだった。 この国境検問所、今は冷戦時代の博物館になっている。季節外れのためか閉鎖されている。ちょっと興味があるから入ろうかと思ったが、これは残念だ。 警察官の詰ボックス、検問のバーなど、昔のままの雰囲気が保たれている。かっては、機関銃を持った人達が並び空気がピリピリとしていたことが想像できる。 それを想うと、今はなんと平和なことかと思う。そして国境という人間が地面に引いた線が、いかに脆いものであることかと感じる。 |
![]() |
|
国境警備所は高台の上にある。その数百メートルも離れていないところに、ギリシャ建築を彷彿させるすごい建物が建っている。
この建物を説明する看板が近くにある。なんでも19世紀の始めに、1945年までこの地で勢力を奮っていたリヒテンシュタイン一族が建てたものとのことだ。 バルティス(Valtice)からレドニス(Lednice)にかけての世界遺産地域に、この種の建物が建っている場所が10か所程あるという。 看板には、建物の上に登ってバルティス(Valtice)の街並みを眺めることができると書かれている。残念ながら季節はずれだろうか。建物の屋上に上る入り口扉が施錠せれていた。落胆だ。 |
![]() |
|
バルティス(Valtice)の町に入る。町の中心部に、立派なお城がある。今日は日曜日だ。欧州の街は、日曜日は人出が少ない。
お城には、人影がほとんど見えない。建物の中には入れないが、庭を独占である。
どうも私は貧乏性だ。この種の立派な建物を眺めると、すぐに考えるのは城のメンテナンスのことだ。さぞ大変だろう。お金もかかるだろう。 そう思えば、ワンルームマンションに住む方が、うんと楽なように思う。物は持たない方が気楽だ。夏目漱石も、金を持てば、その金をしまっておくことに心配になると。 まさに、同感だ。 |
![]() |
|
バルティス(Valtice)の街を抜けて、レドニス(Lednice)方面に向けて北上する。レドニス(Lednice)まで直線距離にして7kmだ。
途中に深い森がある。自転車道、ここではもう鉄のカーテントレイルではないが、その自転車道は森の中に点在する数々のモニュメント前を通過する。
しかしこの自転車道はすごい。舗装されていないので、道は荒れ放題だ。おまけに車も通るようで、轍が深くえぐられている場所もある。 MR-4のタイヤ幅は細い。この細いタイヤでの走りはとても辛い。 |
![]() |
|
そこらじゅうで道草を食っているので、なかなか先に進まない。いろいろな場所で、とにかく絵になる風景が多いのである。
その風景に出会うたびに写真撮影をして風景を眺める。
まあ、これが楽しみで、サイクリングしているのだからショウガナイ。私の走りは、距離を稼いで、そして地図上で移動距離を重ねるのが目的ではない。 道すがらの風景を眺めながら、ゆっくりとポタリングすることがすきで、走っているのである。 時刻は、午後2時を回った。 バルティス(Valtice)とレドニス(Lednice)の間に人造湖がある。リヒテンシュタイン一族が、釣りのために造った湖だ。 造って200年は経つ。もうしっかりと周りの自然に溶け込んでいる。湖を横切る陸橋に鉄道が走る。その途中に、停車場がある。 建物もプラットホームもない、駅名看板だけからなる素朴な駅だ。この駅看板が、なぜか自然に非常に溶け込んでいるように見えてならない。 |
![]() |