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パリから特急電車で1時間で着いた。12月になり、夜明けがドンドン遅くなる。
パリ出発は8時7分、空はまだまだ暗い。
ラッキーの一言だった。 夜が明けるにつれ、青空が拡がっていくのがわかった。オルレアン(les Aubrais)の駅に着いた時には、 空は雲一つなく晴れ渡っていた。 先週の週末は、雨ばかりでアパートで腐っていた。考えてみたら、今の自分に 自転車を取ってしまったら何が残るのだろう。夜、飲み歩くのも嫌いだし、人と交わるのも 大嫌いになってしまった今の自分に、外に出て走れない週末はとても辛い。 「親友が欲しければ犬を飼え」と誰かが言ったが、犬の飼育はめんどくさい。 それならば、無機質の自転車の方を相手にしていた方が、うんと楽だ。 |
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ロアール川の右岸を、オルレアンの街から上流に向かって走ると、しばらくは細い土手が続く。
ロアール川航行用の水路のようだ。上流にいくと、案の定、ロアール川とセーヌ川を結ぶ
運河に繋がっていた。
この水路とローアール川の本流との間に、幅1メートル程度の道が造られている。
さすがに、この狭い幅では自転車は危険なようで、「自転車通行禁止」
の交通標識が堂々と飾られている。
土曜日、川沿いはジョギングする者、ウォーキングする者が頻繁に行きかう。
久しぶりの冬の晴天、多くの人たちが川沿いでくつろいでいる。 |
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サンジョアンの町を通過すると(Saint Jean-de-Braye)オルレアン運河に入る。運河沿いの道を数キロ
走ると空腹を感じ始めた。
運河沿いの道を離れ、チェッシー(Chécy)の町で道草をすることにする。 チェッシー(Chécy)の町は高台にある。高台に登ろうとしすると、びっくり するものを見つける。 なんと、階段の横に、自転車の轍に合わせたレールがひかれているのである。 フランスは自転車文化大国とは、よく言ったもので、こんな田舎で、こんなものを見つけるとは 驚きである。こういうものを見ると、日本の自転車文化がフランスのそれに追いつくには、 あと1000年は必要な気がする。 このマニアックなまでに、自転車スポーツを大切にしてくれる 気持ちはわかるが、このレールの上の自転車を曳いて登るのは、結構な体力が必要である。 「誰が、こんなもの、使うのだろう」と思いつつ、試に必死に押し上げた。 |
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冬の木漏れ日が降り注ぐ美しい風景だ。こんな風景がずーと上流のセーヌ川まで
続いていると思うと、すべての計画を変更したくなる。ずっとこのままこの景色の
中を走っていたい気分になる。
運河沿いの所々に、運河の歴史、運河航行のしくみ、周辺の自然を記載した 立て看板がある。 この看板の記載によれば、運河の全長は約80kmだ。この運河から他の運河に船で移動することで、 パリにも行ける。南仏まで行けるという。すごいものだ。 掘削は17世紀の後半、木材と石炭を運んだという。17世紀後半と言えば、織田信長や豊臣秀吉 が天下統一を目指していた頃だ。その頃からずっと、この運河を船が航行していたかと思うと、 いやはや人の一生とは、なんとはかないものだろう。 |
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あまり、運河沿いを離れすぎると、今晩の宿泊地のオルレアンから遠のいてしまうので、これはまずい。
今の季節、あっと言う間に夕暮れになってしまう。特に、午後の走りは、しっかりと時間を意識して
走らないと闇の中を走る羽目になり、これはとても危険だ。
オルレアンからシャルトルにかけて拡がる平原地帯を、ボース(Beauce)地方と呼ぶ。 フランスは、今もそうだが欧州有数の農業国だ。農業生産の大黒柱は、このボース地方である。 パリからシャルトル方面、またはオルレアン方面に電車で走ると、地平線の 彼方まで、畑が広がっている風景に出くわす。まさにボース(Beauce)の風景である。 一度、この風景の中を自転車で走ってみたい思いがあり、やっと、実現した。 しかししかし、単調過ぎる。すぐに飽きてします。 |
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