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冬の靄は、フランスの田舎はあたりまえのようだ。毎日、午前10頃までは、
こんな感じだ。
第3日目、どこを走るか迷った。
実は、一昨日地図をなくした。ホテル周辺からアランソンの街までの広域の地図 を失くしてしまった。サイクリング時は、荷物を最小限にしているので、これは意外だった。 したがって、予備に持ってきた西隣りの地図が幸いにも役だった。 ホテルから昨日の最西の場所のクープトラン(Couptrain)の街まで、22kmを休まず走ることにした アップダウンの多い、結構、シンドイコースである。1時間半で走り切った。 この年齢で、これならまあまあ上出来だ。 | |
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クープラン(Couptrain)からラ・パルー(La Pallu)までの道のりは最高だ。
おまけに雲一つなく空は晴れ渡った。厚くもなく、寒くもなく、これは見事なサイクリング日和だ。 ここらあたり、放牧が産業の中心なようで、いたるところに牛がいる。 丸々太った肉牛で、私と目が合うと、私の方向に歩み寄ってくる。 しばしの見つめあいだ。「肉」として食卓に並ぶ日も近い。それを知らない無邪気な目が嘆かわしい。 どこかで、狩りでもしているのだろうか。時々、銃声が響き渡る。遠くから、教会の 鐘の音も聞こえる。日曜日だ。ミサでもやるのだろうか、 祈りを捧げる者もいれば、かたや殺生に励む者もいる。これが世の中だ。 小学生くらいの女の子とそのお父さんが、自転車に乗って前方からやってきた。 すれ違いさまに、二人に大きな声で、挨拶をする。お父さんは挨拶を返してきたが、 その女の子は無言だ。すれ違った後、その二人の話声が聞こえた。 「日本人だよ。挨拶しないと」と父親は子供に言っていた。どうして私が日本人とわかるのだろう。 私が典型的な日本人に見えるのか、あるいはアジア系の人は皆、日本人と呼ばれるのか。 結構、不思議だ。 | |
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紅葉の盛りの時期が、場所によって、ずいぶん違うことに驚かされる。
もう葉を落としてしまったところもあれば、今、まさに「旬」なところもある。 午後の昼下がり、こういう田舎道に出くわすと、来てよかったとほんとうに思う。 だからサイクリングが止められないのである。 | |
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バグノール(Bagnoles)の街は、期待外れだった。
この街は、保養地で街の至る所にホテルが並ぶ。ただ、それだけの街だった。
ちょうど、カンヌやニースと同じで、なぜか親しみがわかない。そこに住む人たち の生活の匂いがしないところが、おもしろくない。 そうそうにこの街とはオサラバだ。 | |
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ゆっくりサイクリングを楽しみ過ぎた。
バグノール(Bagnoles)の街を出たは午後2時半だった。
ここで、少し考えた。今の季節、午後5時半には暗くなってします。時刻を逆算する。 これは危険だということを悟った。焦った。ライトは持参していないから夜は走れない。 45kmの道のりを3時間で走ることになる。それにアップダウンの多い道だ。自転車も ロードバイクのような軽快な走りは期待できない。年齢を考えての脚力は昔とは違う。 足が悲鳴を上げ、明日はどうなってもよいから、とにかく明るいうちに距離を稼がなければ ならない。 Couptrainに午後3時半、Pré-en-Pailに午後4時10分に着いた。 残り時間は1時間半くらいで、距離は24Kmである。 ここで迷う。国道を走るか地方道を走るかで大いに迷う。 国道12号は起伏は少ないが、車がたくさん通る。地方道は、逆だ。なんと言っても、標高300メートルの 峠越えはつらい。国道を選ぶ。 午後5時を過ぎる。あと10kmだ。 太陽はぐっと傾く。日差しが弱くなる。あたりが暗くなり始める。 あと5kmで、もう走るのをやめた。戦いは終わった。残りを歩いても1時間で着く。電車は午後8時だから、十分時間はある。 なんとか助かった。普段の鍛錬のせいか、両足が45km、3時間の走りに耐えてくれた。 | |
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