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弘法寺の境内で一服
最近、奥武蔵をしばしば訪れるようになった。「秩父」「川越」の地形図(5万)には、数多くの「峠」が記載されていることから、ついつい欲が出て、峠登りをしてしまう傾向が強くなっていた。峠登りは、達成感はあるものの、結構、疲れるもので連チャンは辛い。しばらくご無沙汰していた自転車での神社巡りを、ゆっくりとしてみたいものだと思っていた。 JR八高線の越生駅待合室には、壁という壁に観光ポスターが張られていた。なんと無節操なことか、なんでも張ればよいと言うものではないように思うのだがいかがなものか。その中の一枚に「武蔵越生の七福神を巡ろう」というものが目に付いた。渡りに船で、この7神社を巡ることを即決した。面白いもので、「三浦七福神」などなど、土地柄、いろいろな七福神があることに興味を覚える。 |
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かわりそうな孔雀に同情
「円通寺」には、三番目に訪れた。長寿を授けてくれるという「寿老人」の寺だ。「越生の梅園」の南2Kmぐらい、国道から少し北に入ったところにある。敷地が狭い窮屈な寺だが、住職の好みらしく、境内はすばらしくきれいに手入れされていた。ベンチに座って本堂を眺めていると、突然、後ろから変な鳴き声が聞こえる。 「なんだなんだ」と思い、辺りを見回してみると狭い檻に孔雀が1羽に入っていた。それが、おかしなことに、中に入っていた孔雀があまりにも成長してしまい、檻があまりにも小さくなってしまっているのである。鶏ならよいが、尾の長い孔雀では可哀想だ。敷地、本堂、境内、鳥の檻と、全てがコンパクトにまとまった寺であったが、唯一、孔雀の檻だけはシステム破綻をきたしているようだ。 |
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趣のある立派な山門 (龍穏寺)
「龍穏寺」に到着する頃には、空は晴れ渡り青空となっていた。石畳の参道、それに続く山門、本堂、どれをとっても趣のあるよいものだ。杉の葉を通す木漏れ日、これがまたよい。たまたま訪れた時間の関係か、参拝者がみあたらない。 先週の日曜日、家族で鎌倉の建長寺を訪れた。GWということもあり、どこも観光客で溢れんばかりであった。この龍穏寺は、鎌倉にある寺院と比べても遜色ない立派な古刹であるが、なによりも、私が気にいったのは、訪れる観光客がほとんどいないことである。神社めぐりは、あたりはずれがあるが、ここ龍穏寺は大当たりだ。 |
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すばらしい巨樹なのだが、 (上谷の大楠)
越生町に埼玉一の大楠があることは知っていた。ただ、そこがどこなのか、正確な場所は知らなかった。私は、サイクリングする際に、ほとんど下調べはしない。要は怠惰なのだ。と言うよりも、下調べをしないことは、予期せぬものを、あたかも偶然に発見したような喜びが味わえる楽しみがある。したがって、巷に言われる「有名」な場所は、結構、見落としていると思う。 話は戻って、「上谷の大楠」の話だが、観光案内の情報を頼りに、苦労しながらもたどり着く。「埼玉で一番」という事前情報に、期待が膨らみすぎたためか、感動は、今ひとつであった。株立ち型の立派な巨木なのであるが、なぜか、樹から受ける圧迫感いまひとつだ。樹の周辺に渡り廊下風の通路が作られており、これがあまりに人工的過ぎて、雰囲気をつぶしてしまっている印象だ。「過ぎたるは、及ばざるが如し」の典型なり。 |
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