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日付: 2016年7月28日
場所: バッドガスタイン(Bad Gastein:標高1,000m)の町
地域: オーストリア(Austria) ザルツブルク州(Salzburg) 
訪問地: Wien, (A1), Golling an der Salzach parking area, Lend, hofgastein, bad hofgastein, bad gastein, böckstein, bad gastein, bad hofgastein, Lend, Golling an der Salzach parking area


 

 

目指せ自然公園

 ウィーンを出発したのは午後6時半だった。高速道路1号を西に向かう。 2時間ほど走ると、前方に黒い雨雲が現れだした。まわりは日没近くであることと、厚い雲のせいか、次第に暗くなり始めた。  リンツの町を抜けると雨が降り始め、雨はしだいに強くなり始めた。  

 しばらくすると、土砂降りになった。ワイパーを最速に動かしても間に合わないほどの雨の強さだった。 側道には街灯がない。そのせいか、とても暗い。頼りは道に引かれた白い線だけだった。 この最悪の運転条件下ながら、私の車を勢いよく追い抜いていく車が多い。皆、どうゆう視力をしているのだろうかたと疑う。 私の目が、老いのせいで夜間順応できなくなっているためだろうか。  

 午後10時半。目的のパーキングエリアに着く。このパーキングエリアは以前にも一度宿泊したことがある場所だ。一応は慣れている。 エリアには、ハンバーグのマック店がある。この店は午前6時から営業を始める。  

 ぐっすり眠れたような、そうでないような気分を感じながら、まずはコヒーだと思い、マックの店に入る。マックカフェのカウンターには、 アジア系の若いお姉さんが、たった一人でお客の応対をしていた。私の列の前には、5人組の家族のがいた。たった5人のお客に、やけに 手間取っているなあと思いつつ、まあ、待つ。  

 コヒーは、大を頼んだ。何と、300tくらいのコヒー量だった。これはすごい。これでは一度では、飲めない。  

 

 

 

 

   レンド(Lend)の村は、アルミの町  

   野宿したゴリンク(Golling)のパーキングエリアから45qほど南下する。そしてレンド(Lend)村の鉄道駅に自動車を駐車させる。 このレンド(Lend)村に来るまで知らなかったが、この村は、アルミ精錬で有名なSAGという会社があった。駅の近くには、精錬施設があり、 アルミの原石とインゴットが置かれており、柵の外から眺めることができた。

 オーストリアの山奥で、しかも電力を多く必要とする アルミ産業が成り立つかどうかはわからないが、村には煙突が立ち並ぶ。典型的な鉱山集落だった。



 

 


国際7号自転車道に沿って南下  

   国際7号自転車道(ciclovia Alpe-Adria radweg: Euro velo7)は、すごい自転車道のようだ。 地図で見る限りスカンジナビア半島の北部から南下して、なんとイタリアのシチリア島まで伸びているという。途中、アルプスを貫く。 オーストリアがまさに、アルプスを南北縦断する場所だ。  

 その自転車道が、レンド(Lend)を通過した後に、ガスタイナーアッケ川(Gasteiner Ache)を沿いを走ることになる。  

 トンネルの中にも、何と、自転車専用レーンが造られている。この国の自転車というスポーツを大切にする文化には脱帽である。    

 

 


証明書類を全忘れ  

 実は、今回の遠征では、いろいろな物を持ってくるのを忘れてしまった。

 普段の泊まり込みの遠征では、あらかじめに準備してあるチェックリストに沿って持ち物を準備するようにしている。 したがって、物を忘れることは、まずない。

 ところが、今回は、準備している時に、少し気が抜けていたようだ。 まず大切な物として、パスポート、身分証明証、運転免許証、車検証を持ってくるのを忘れた。これは結構、深刻で、 もし、警官の職務質問にあったら、一巻の終わりである。これは、とてもまずい。自分が誰かであることを証明できなくなってしまう。 これは大焦りである。

 次に、夏の自転車走り用のズボンだ。夏は大体、ちょっと短めの長ズボンを穿いて走る。 ところが、今回は、これを持ってくるのを忘れた。山用の長ズボンだけである。これは、夏の走りには辛い。汗をかいたときの、肌触りは 最悪である。それに、今回は3泊を全て野宿をするつもりなので、着替えがないのはとてもつらい。 いろいろと忘れてきた自分は、どうかしている。

 山の低いところに、うっすらと霧のような雲が残る。しかし、雨は降ってこない空模様だ。とにかく、ビクビクしながら走る。



 


バッドガスタインの取り付きの坂登り

   バッドガスタイン(Bad Gastein)という温泉保養地がある。この保養地は標高1,000mのところにある。 この町に手前4qが、すごい急坂なのである。傾斜15%を超す登り坂が、続き、ここで一気に汗が流れだす。

 この登り坂、町の周遊自転車道になっているらしく、ごくごく普通の家族連れが、普通の自転車で走っている。 といっても、普通の自転車では傾斜15%の坂は上れないので、歩き押しである。家族の一団が、皆で 歩き押しをしている姿を横に、ちょっと無理しながら、自転車を漕ぎ抜く快感には、まだまだ、悟りは遠いことを感じる。

 登り切ると、眼下にのどかな田舎風景が広がる。爽やかな風に吹かれながら、このような景色を眺めおろす気持ち。 これがあるからサイクリングがやめられないのである。



 


温泉保養地  

   バード・ガスタイン(Bad Gastein)は、重厚で個性のある建物が並ぶ。 何でも温泉保養地であるが、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、多くの政治家がここを訪れて、政治を裏から動かしたという 歴史の街でもある。

 町の中央に、ちょっとした広場がある。その広場に面した古いホテルの前に幾十枚かの大きな歴史的に有名な写真が飾られている。 知っている人は少ないが、風貌からしてどことなく偉そうな感じの人々の写真が並んでいる。

 その中の一枚の写真に、日本の外交官夫婦の写真がある。 夫婦は二人とも洋装だ。老人は杖をついている。どことなく疲れている様相だ。一方、隣の女性は気品が漂っている。 1940年頃に撮った写真らしいが、ファッションはあか抜けている。ネットで当時のドイツ大使を調べてみた。

今は、とても便利な時代だ。googleで一発で当時の在ドイツ日本大使を探しだしてくれる。 写真の男性は大島浩氏。陸軍軍人で、第二次世界大戦前から戦中にかけて駐ドイツ特命全権大使を務め、 日独伊三国同盟締結の立役者としても知られる。終戦後の極東国際軍事裁判ではA級戦犯として終身刑の判決を受けた。1975年没。とある。 残念ながら奥さんの情報は見当たらない。



 


「自転車はダメ」とのつれない言葉  

   実は、今日の目的地は沢奥にあるガスタインアルペン通り(Gastein Alpen Strasse)である。終点の標高は1,560m。 登り口のベックスタイン(böckstein,)の村が1,100m程度。したがって終点までの標高差は400m程度だ。 これは、楽勝である。ただ、雨がポツリポツリと空から落ち始めたので、終点からの景色は楽しめないだろうと思う。

 登り始める。全行程の必要となる全エネルギーと脚の疲れ具合を、うまく調整して一漕ぎつつ、ゆっくりと漕ぐ。 前方に料金所が見え始める。  

料金所を、あたり前のごとく通過しようとする。料金スタンドに人はいない。でも、どこで見つけたか、私が通過すると、するっと 一人の男に呼び止められた。自転車は、この道は通行止めだという。残念である。すんなり、「わかりました」と言って、引き返す。

 何とも、残念である。自転車禁止の山岳道路が、オーストリアに存在するとは、初めての経験である。 まあ、今日登っても、景色は楽しめないなと自分に言い聞かせる。



 


金鉱の村  

   バッドガスタイン(Bad Gastein)の町が位置する沢は、バッドガスタイン(Bad Gastein)谷と言われる。 この谷は周辺の同規模の谷と比べて開拓が十分進んでいる。理由は、恐らく私の推測であるが、この谷に昔、金鉱山があったことが その理由と考えられる。また20世紀の初めに鉄道がバッドガスタイン(Bad Gastein)の町まで伸びたことから、観光客が増えたのであろう。

 話は金鉱の話に戻る。バッドガスタイン(Bad Gastein)の町から谷奥に5q程登るとブックスタイン(böckstein)という小さな村がある。 今は、別荘地になってしまったが、かっては金銀の鉱山が近くにあった。今でも、川辺で金のパニング(わんかけ)が楽しめるという。 記録では、西暦1,557年には、830sの金と2,727sの銀を産出したという。 これが年別の最大産出時のデータである。その後、生産量は減少し、やがて廃鉱山になった。 いろいろな場所に、そこそれぞれの歴史がある。その一端でも触れることが、楽しい。

 小雨ながら雨は降り続く。鉱山博物館の前の軒下で、昼食をとる。軒先が短いせいか、膝が雨に濡れる。天気は回復してくれない。



 


何と道路が突然なくなる  

     ブックスタイン(böckstein)の村から更に谷を奥に進む。すると鉄道駅に出くわす。ブックスタイン(böckstein)の駅だ。 地図上では、国道がここで消えていた。私は、ここからはトンネルを通って谷を越えると思っていた。 ところが、トンネルはあることはあるが、鉄道トンネルだった。

 ここから先の都合6qは、自動車は鉄道駅で列車に乗って移動することになる。ちょうど、海や川をフェリーに乗って移動する要領だ。 それをここでは列車で行うことになる。これは面白い。生まれて初めて拝見した。

 ついでだが、国際7号自転車道も、ここの6qは鉄道移動となる。さすがに鉄道トンネル内に特設自転車道は造ってないようだ。    



 


 時折の日差し  

   午後3時をまわる。天気が回復してきたようだ。周りが明るくなり始めた。

 谷を下り自転車道を走りながら考えた。証明書類を何をもっていない状況で、この遠征を続けるかどうかだ。 とても不安だ。免許証不携帯で車を運転するのも問題だ。どうしたものかと迷う。