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日付: 2016年5月22日
場所: ドライマルク山(Dreimark st:標高1,948m)
地域: オーストリア(Austria Republic) 上オーストリア州(Oberöstrreich)
訪問地: Wien, (car), Prein Gschaid(1,070m), (Schlangen weg), Karl ludig Haus, Predictstuhl(1,902m), Dreimark st.(1,948m), Biss-kc.(1,923m), Raxmoa Haus(1,858m), (Waxriegel Steig), Waxrieg Haus, Prein Gschaid(1,070m) (car), Wien


 


駐車場は午前7時で混雑

 昨日の土曜日は、結局、どこにも行かずにアパートの部屋で静かにしていた。予定では、金曜日の夜にザルツブルグ近くまで行って、高速道路のパーキングエリアで車中泊をするつもりだった。ところが、体調が今一つで、どうも動く気がしなかった。やることがないので、昼間からビールを飲み、結局、それで頭が痛くなって、午後6時にはベッドに入った。そして今朝の5時まで、延々と11時間近くベッドの中でまどろんでいた。

 長時間の睡眠が功を制した。今朝は、すこぶる爽やかな目覚めだった。少し、寝不足気味で、それで体が不調を訴えていたのかもしれない。

 天気予報は快晴。アパートの部屋にいても酒を飲むこと以外やることがない。それではと(Schneeberg)の西側のラックス(Rax)の山々でもハイキングに出かけることにした。

 適当にパンを齧った後で、午前5時半にウィーンを出発。自動車で走ること120km。標高1070mのプレイン・グシャイド(Preiner Gschaid)の駐車場には、午前7時には到着した。駐車場は、その半分近くが車で埋まっていた。早起き人間はどこにもいるものだ。  

 

 


快晴に恵まれた  

   標高1340mのジーベンブリューナービーゼ(Siebenbrunnernwiese)には、すぐに到着した。ここからが本格的な山登りが始まる。と言っても、山道を400m登れば、山小屋に到着だが。

 ジーベンブリューナービーゼ(Siebenbrunnernwiese)とは、いい名前だ。日本語では、「七つの泉がある平原」だが、周りをパッと見渡すかぎり、どこにも泉は見当たらない。山の谷を見上げると、遥か彼方に、赤いヤッケを着た人が、登っていくのが見える。山道を歩くのではなくて、沢登りをしているようだ。元気があるものだ。



 


残雪残る登山道を進む  

   標高が1700mを越えると、地形的な影響だろうか雪渓が多くなる。雪渓の状況からして、2〜3週間前なら、アイゼンが必要だったように見える。吹く風が冷たい。結構、風が強い。長そで一枚で、ここまで登ってきたが、風邪を引くのではないかと心配してウィンドブレーカーをバックから取り出して羽織る。まだまだ、完全な夏山ではないなあと実感する。  

 

 



混雑する山小屋  

 午前9時には、カールルディヒ(Karl Ludig Haus)の山小屋に到着した。写真を撮りながらのユックリ山登りだったが、2時間で、標高1804mまで登ってきたことになる。ここで休憩する。山小屋の中は、多くの人が朝食を取っていた。ちょうど、宿泊した人たちが、朝の出発ということで、皆が、「さようなら」と言って、レストランを出ていくところだった。

 コヒーを一杯注文する。飲みながら考えた。思うに、ここの山小屋は、下界のカフェとあまり変わらないように思う。オーストリア全部の山小屋の状況は知らないが、私の知っている限りでは、どこの山小屋も綺麗で快適だ。  



 


「判決椅子」と名前が付けられた頂上

   20分程度のコヒーブレイクを終えて出発。目指すは、カールルディヒ(Karl Ludig Haus)小屋の北東地域に広がるちょっとした平原。平原といっても、石灰岩が作る地形で、ところどころに小山が点在する。

 まずは、プレディクトスチュール(Predectstuhl)山だ。日本語に訳せば、「判決椅子」と名の付いた標高1902mの小山である。南東側には険しい崖があり、まさにハラハラドキドキの判決椅子である。頂上に、何かあるかと期待したが、何もなかった。ただ、ケルンがしっかり積んであるだけだった。標高何メートルという標識もない。ちょっと寂しい。

 頂上からは、南にゼメリング鉄道で有名なゼレイングの保養地。そしてその奥に1700m級の山々が連なる。また、山の尾根部分に数基の風力発電風車も見える。視界は極めて良い。100km先ぐらいまで見渡せそうだ。



 


おもろいオバサン二人組  

   プレディクトスチュール(Predectstuhl)山から東に進む。しばらく歩くと登山道が左右に分枝することを示す標識にぶつかる。標識前で私が地図を見ながら現在地を確かめていると横を30歳〜40歳と思われる2人の女性ハイカーが通過した。

 この二人、とにかくピーチクパーチクとよく喋る。何をそんなに話すことがあるのかと思うほどに、お喋りに夢中になって歩いている。せっかくハイキングしているのに、周りの景色など目に入っていない。私の目の前にあった標識など見もせずに右側の登山道を進んで行った。大丈夫かいなこの二人と思う。

 私は地図を確認して彼女達と同じ方向に進んだ。すると、すぐにオバサン二人は、自分たちが道を間違えたと悟ってUターンして戻ってきた。私とすれ違った際に、西の方に見える山を指さして、「カールルディヒ(Karl Ludig Haus)小屋は、向こうですよね。」とオバサン二人のうち一人が私に尋ねてきた。「そうですよ。」と私は笑いながら答えた。

オバサン二人は、どこか照れ笑いでもした顔をしてカールルディヒ(Karl Ludig Haus)小屋の方に歩き去っていった。歩き去りながらも、オバサン二人は相も変わらずペチャクチャと話を続けていた。



 




360度のパノラマ風景  

   標高1948mのドライマルク山(Dreimark St.)を過ぎて、標高1923mのBiss−KC山の頂上に到着する。ここからの景色は最高である。東には標高2000mを越えるシェーネスベルグ山、西には延々とオーストリアアルプスの山々が連なっている。

 風も、朝方ほど吹いてはいないので、時間も正午近くなったことから昼飯とする。今日のランチは、パン一つと缶詰一つ、それに緑パプリカ一つである。紅茶を飲みながら、360度のパノラマで広がる山々を見ながらの食事は、何物にも代えがたい。体調に若干の不安があったが、今日は、来てよかったと心から思った。



 


避難小屋と性善説  

   標高1923mのBiss−KC山から、来た道を引き返す登山道沿いにラクスモアハウス(Raxmoa Haus)がある。コヒーでも飲めるかなと期待して、小屋に寄ってみるが、この小屋は避難小屋だった。もちろん誰もいない。避難小屋だけあって鍵がかけられていないことは、当然であるが、使う人を性善説に考えてあり、親切だなあと考える。果たして、日本の避難小屋は、どうだろうかと、鍵はかけずにあるのだろうかと、ちょっと心配になった。



 


我が老化を考える  

   下山はワックスリーゲルシュタイグ(Waxriegel Steig)という道から下ることにした。登って来た道をそのまま、下っていくのも能がないと考えたからである。

 この登山道は、人通りが少ない。そのせいか、結構、荒れている。一か所、登山道は崩れており、そこでは急ごしらえの岩場を歩くようになっていた。

 最近、思うに齢を取ると共に、私自身の平衡感覚が衰えてきたなと自覚することがある。それは、険しい山道を歩いているときに感じるようになった。昔、杖のお世話になる年寄りを見て、何がどうなってあんな杖を使うのだろうと考えていた。  ところが、いざ自分自身が、還暦を過ぎてみると年寄りの気持ちも理解できるようになった。70歳を過ぎ、80歳を過ぎるととにかく平衡感覚が鈍るのである。今のまま、老化して行けば、私もあと20年経てば、杖を使い始めるほどになるだろうと確信する。



 


人生は、楽しんでナンボ  

   標高1300?のワックスリーゲル(Waxrieg Haus)小屋まで降りてきた。下山道は、石灰岩の小石が登山道上にゴロゴロと転がって、滑りやすくなっていた。格別の注意を要する下山だった。ワックスリーゲル(Waxrieg Haus)小屋の前に並べられたベンチには遅い昼食を楽しむ人達で溢れている。皆が皆、このように優雅に過ごしているのではないだろうが、人生は、こうやって楽しむものだという光景を見せつけられているようで考えされられた。