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日付: 2016年5月1日
場所: ポディジ国立公園(Narodni Park Podyji)
地域: チェコ共和国(Czech Republic) モラヴィア地方  
訪問地: Cizov, Hardeggska vyhlidka, Hardegg border, Cizov, Vetrnik(510m), Narodni Park Podyji, Ledove sluje, Vranov nad Dyji, Statni Zamek, Onsov, Lesna, Cizov


 


子供の夜泣きに目覚める

 宿泊したホテルは農家の民宿だ。泊まった部屋は屋根裏で、1泊で23ユーロ(約2800円)だ。朝食は3ユーロ(360円)。ここに2泊する。部屋にテレビはない。トイレとシャワーは共同だ。部屋の設備は今一つだが、清潔だし、何んといっても値段が高くない。チェコは物価が安い。特に、人件費がらみが安くなる。

 土曜日の夜ということで4組が宿泊していた。そのうちの2組は、1歳程度の子供をそれぞれ持っている夫婦だ。友人同士かなと思ったが、そうでもないような不思議な若夫婦達だ。

 その1歳になるかならないかの子供の夜泣きが激しい。小さな子供だからこれはどうしようもない。ただ、部屋の区切りがしっかりしていないせいか、泣き声が響き渡る。これで何度か目覚めた。

 朝食は午前8時から。パンは数片でコヒーは飲み放題で、これだけの料理とは恐れ入る。これで3ユーロ(360円)は安い。何かすごく得した気分だ。改めてオーストリアの物価の高さを感じる。  

 

 



チェコ唯一の鉄のカーテン  

  宿泊したのはシゾブ(Cizov)という村だ。総戸数が20戸程度しかないように見える。この村は、かっての冷戦時代には、国境警備の駐屯地だったように思える。村の外れには、国境警備駐屯地事務所の建物があり、今は、自然博物館になっている。時代は変わったものだ。

その自然博物館の横に、鉄条網が残っている。その近くに説明板が立っている。冷戦時代には、バルト海からアドリア海までの総延長7,250kmに鉄条網が張りめぐらされており、そのうちチェコスロバキアには930kmがあった。1960年頃までは、この鉄条網に1万ボルトの電流が流されており、1948年から鉄のカーテンがなくなる1989年までに390人の民間人が死んだという。今ではチェコ国内の鉄条網は全て取省かれたが、ここシゾブ(Cizov)村には、当時の鉄条網と監視塔が教育用に残されているとのことだ。  試しに、監視塔に登ってみた。見た目よりも階段は急だ。残念ながら、上の監視台には鍵がかかっていて登れなかったが、高さなりの恐怖感はある。30年も前のチェコスロバキア人は、この塔に上から、何を思って景色をながめたであろうか。



 


切り倒された樹木  

     ハーディッグ(Hardegg)村には、今年3月の初めに訪れている。その時は、オーストリア側から訪ねた。2か月ぶりの再訪だが、驚いたことに国境の橋のまわりに生えていたかなりの数の樹木が切り倒されていた。2か月前と比べて、ずいぶんと明るくなっているのである。チェコ側にあった建物の改修工事も着々と進んでいるようだ。いったい、チェコ側の建物は何に使うのだろう。

橋の下に流れる川は、オーストリアではタイヤ、チェコではテジヤと呼ばれる。このあたり一帯の森林地帯は、オーストリアではタイヤ国立公園、チェコではテジヤ国立公園と呼ばれる。今日は、チェコ側のテジヤ国立公園内を自転車でポタリングする予定だ。  

 

 


むせ返る緑  

 シゾブ(Cizov)の村に戻って、そこから西に向かって進む。ゆったりとした登り坂で、まわりは畑だ。だがすぐに、自転車道は鬱蒼とした森の中に入っていく。標高510mのベトロニック(Vetrnik)峠を過ぎると、なだらなかな下り坂になる。

 途中、自転車道をわざと外してハイキング道に入り、森の中の展望台まで行ってみた。そこにはなぜか高さ10mほどのオベリスクが建っていた。せっかくの国立公園内なのに、なんの目的で建てたのだろうかと思案する。オベリスクの色も目立つ黄色である。しかし、車が入れないこの森の奥に、よくぞこんな建物を建てたものだと感心する。  



 


立派な吊り橋

   森の中に1本のつり橋が現れた。幅員が1m程度のつり橋だが、ずいぶんとしっかりと造ってある。この吊り橋は、目的が生活用途ではなくてハイキング用、又はサイクリング用に造られたものだろう。なぜならば、地図で見る限り、吊り橋の向こう側に住む人はいない。  



 



物価の安さに感心  

   普段、サイクリングをしていて、昼食をレストランに入って食べることはない。時間がかかるのと一人で入るのが寂しいのである。

 ところが今日は、レストラン前に置かれていたメニューにピザが書かれているのを観て、無性にピザが食べたくなった。  昼の正午、お客は私を含めて数名だ。ビールを飲んでいる男達が多い。常連らしく店の料理人となんやらと話をしている。

 ピザとビールの小ジョッキを頼む、途中でビールは追加した。それで全部で140クローネ(650円)だった。直径30cmのキノコピザが450円、小ジョッキが二杯で100円×2だ。なんとも安い。味はまあま。



 



お城で見つけた日本美術  

   森を抜けてブラノブ(Vranov nad Dyji)の町に入る。すると対岸の崖の上に聳えるお城が、すごい威圧感を与えていることに気づく。ブラノブ城だ。それを見るなり、さてどのようにして自転車で登っていくのだろうかと考える。このような立派な城だから、かならず自動車によるアクセスが可能だろう。であれば、自転車でも登れそうだ。町のインフォセンター前の地図で確かめる。すると、崖を北から、ぐるりと巻いて登っていく自動車道があることを知る。

 想定だが、標高差は100mもないように見える。これなら、楽勝だ。かなり遠回りになるが、ゆっくりと34T×30Tで漕ぐ。

 到着する。城の受付で、城の中をまわるツアーに申し込む。城は、外から眺めるに限るが、今日は、なぜか内部に入ってみることにする。

 20人くらいのグループになり、城の内部を巡っていく。言葉はチェコ語なので、まったくわからない。それはそれでしょうがない。面白いのは、城巡りは、スリッパを履いて行うのである。私は、靴を脱いでスリッパを履こうとした。ところが周りのチェコ人の様子を伺うと、皆、靴を脱がずにスリッパを履いていた。なるほど、それでスリッパがやけに大きい理由がわかった。

 部屋を巡る。ある部屋は東洋の部屋ということで、日本の美術品が飾られていた。このチェコくんだりまで、よくぞ、日本の美術品が流れ流れてきたものだと思う。描いた人も、まさか、21世紀のチェコの名もなき城の壁に掲げられているとは、夢にも思わなかったであろう。



 


失われた風景  

   チェコの良さは田舎の風景だ。どことなく昔を思い出させてくれる光景だ。10年か20年前には、オーストリアの田舎に普通にあった光景だろうが、今では見ることはできない。このような家を観ると、チェコが大好きになってしまう。