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日付: 2016年4月23日
場所: ブぜネック城(Zamek Bzenec)
地域: チェコ共和国(Czech Republic) モラヴィア地方  
訪問地: Wien, (car), Bzenec, Veseli nad Moravou, Uhersky Ostroh, Moravou Pisek, Bzenec, (car), Buchlovice


 


砂漠の中のオアシスと呼ばれた町

 ブゼネツ(Bzenec)は、チェコ共和国(Czech Republic)のモラヴィア地方 に位置する。 人口は4000人程度だ。  土曜日の午前中に、この町に着いた。中央広場の南側に国道が走り、国道沿いの片側の道に商店街が並ぶ。 午後には、商店街は扉を閉めてしまう。したがって、買い物をする人々が、どこか急いで、用足しを済ませているように見える。  

 中央広場の一角にベンチが置かれ、何人かの老人が街並みを眺めながら休んでいる。 そのベンチの横に、町の歴史を説明するポスターが飾られている。ポスターには、100年程前と思われる町の数枚の風景写真が見える。 いずれの市場の風景で、中央広場に所狭しと市が立っている。どれもこれも南京袋に物品を入れて、売っているようだ。 写真後方には馬車が見える。  

 なるほど、これは砂漠の中のオアシスだ。お店の形態は変化しても100年前と基本的には風景が変わっていない。 恐らく、中世の頃から月の何日かは市が立っているのだろう。  

 

 


丘の上の廃城  

   町の北側に丘が聳える。その丘の頂上に使われなくなった城の残骸が立っている。  町の標高が海抜180mで丘の頂上が海抜253mだ。標高差は70mだ。ちょっと登ってみることにする。

 ポスターに描かれた町の地図を眺める。しかし丘の頂上に続く道がわからない。 適当に登れば、この程度の丘ならすぐに到着するだろうと、北方向で高みの方角に向かって自転車を漕ぐ。

 道は、やがてダートの非舗装道路なって、畑の中に入っていく。ちょっと方向がおかしいかなと思いつつ前進する。 すると進んでいる道は正しかったようで、自然に高台に到着した。目的地に着いた。

 レンガ造りの城は朽ち果てている。丸ドームの天井は落ちて、見る影もない。誰かがたき火でもしたようで、城の前に黒い炭が残っている。 この廃城の隣に小さなチャペルが建つ。これは、だれかが手入れをしているようで、健全だ。施設は、小さいと小回りが利いて手入れも易しいのだろう。 ずうたいがでかい本体は朽ちて、小さな物が残る。何かを物語っているようだ。



 



 切手の題材になったお城  

     丘の上からは、ブゼネツ(Bzenec)の町の全景を見下ろすことができる。町の西側に立つブゼネツ城(Bzenec)は、その色形からして目立つ。 英国方式と仏式の建物と言うが、英国風はわかるが、どこが仏式だろう。  

 この城は、何代もに渡って所有者が変わってきたとのことだ。 ただし、今は、ブゼネツ(Bzenec)の町が所有者になっているという。この建物も手入れが大変なようで、壁が崩れてはいないが、窓ガラスは一部割れている。 建物の内部は使っていないようで、人影は見えない。  

 建物の裏には立派な庭が広がっている。人影はない。まさに私の独占状態だ。 左右シンメトリックの英国風庭園で、この庭園のすごいところは、庭に映える樹齢数百年の菩提樹だろう。 何でも、16世紀の文献に、すでに樹齢500年となっている記載があるという。逆算すると11世紀に植えられたことになる。  

 菩提樹の幹は、数本に分かれ、株立状態になっている。どの部分が本幹かはわからない。 いずれにしても、1000年の間、この地で、この城の歴史を眺めてきた樹木だ。すごい。  

町の中央にあるインフォセンターには、この城が切手の題材になったというチラシが窓に飾られている。 切手になるほどの城なのに、やはりメンテにはお金がかかるようだ。  

 

 


鉄橋の自転車道  

 ブゼネツ(Bzenec)とベゼリ(Veseli nad Moravou)は、10km程離れている。町を国道54号が結ぶ。 車通りが多い上に、どの車も時速100km以上の高速でぶっとばして走る。自転車は、危なくて走れない。

 親切なことに、この国道沿いには自転車道が、しっかりと造られている。驚くべきことは、川(モラバ)渡る部分には、自転車道は鉄橋になる。 城のメンテナンスにはお金がかけないが、自転車道の整備には、しっかりと投資する。まあ一つの考え方だが、サイクリング好きの私にとっては、これはありがたい。  

 快晴とはいかないが、天気はまあまあだ。多くの人がサイクリングを楽しむ。 考えてみたら、城に投資しても観光客が増えるだけだ。住民がほんとうに恩恵を受けるのは、自転車道のようなインフラ投資なのかもしれない。  



 


 この城も朽ち始めている

   チェコと言う国は、国のそこら中に文化財が点在するから、いちいち小物の相手はしておられないようだ。 ベゼリ(Veseli nad Moravouの町には、立派な寺院がある。この城は17世紀に建造されたという。  当時は、貧富の差がとてつもなく大きく、裕福な人は、少数ながらも、こんな城を持つことができたのだろう。

 ところが今は民主主義の世界。町の経営は、市民の税金が主だ。 裕福な人もいるだろうが、ちょっとやそっとでは手が出ないのだろう。

 この城に付随する庭園も立派だ。その庭園で面白いものを見つける。 彫刻だ。この彫刻、ただの彫刻ではなくて、切り株の上部の木部を削ってカエルが造形されている。 面白いのは、別の場所で作ったカエルの彫刻を切り株の上に置いたのではなくて、切り株そのものを削っているところだ。なるほど、出来上がってみると、これは見事だ。

もう一つ面白いものを見つける。公園内に1911年に造られたという鉄橋がある。製作場所はオーストリアのウィーンという。 この鉄橋は100年以上も人の往来を見続けていることになる。しかし、人通りも少ない、こんな公園の中に、なんで鉄橋があるのだろう。不思議だ。



 


何んとも物凄い物量感のある橋  

     デストロ(Uhersky Destroh)の町に入るには、橋を渡らなければならない。この橋が、またすごいのである。 鉄橋ではないが、セメントで作られた戦車でも通れそうな橋だ。地震国ならわかるが、これはちょっとやりすぎではないだろうかと思う。  

 最大で23トンまでの車が通過できるという。23トンを超えるような車って、よっぽどの特殊な車でなければないような気がするが、どんなもんだろう。



 


落ち着いた町  

   デストロ(Uhersky Destroh)の町に着いたのは、午後2時過ぎだった 。どこで道草食っていたのかなあと考える。時間の経過が早い。走り始めが午前9時を過ぎていたからどうか。

 町に人影はほとんどない。もちろん商店は扉を閉めている。町に一軒のカフェがある。 店の前のベンチで2人の小学生低学年くらいの女の子を連れた男がいる。女の子二人は、今かってくれたのであろうアイスクリームを食べながら遊び回っている。 微笑ましい風景だ。



 


 見頃を迎えた菜の花  

   午後になる。道路を走る車も稀になる。国道405号は私の独占状態になる。世は春だ。菜の花畑から漂ってくる花の香が心地良い。 土曜日の昼下がり。 平坦道をゆっくりとペダルを漕ぐ。



 


由緒あるホテル  

   午後5時には、今晩、宿泊するホテルに着いた。町の名前はブッシュロビス(Buchlovice)、ホテルの名前はブッシュロビスホテルだ。まさに町を代表するホテルだ。

 白いドレス姿の花嫁さんとタキシード姿の花婿さんがホテルの前にいた。 ホテルは、結婚式の披露宴の真っ最中だった。

 ホテルのカウンターでチェックインの手続きをしていると4才〜5才くらいで可愛らしい白いドレスを着た女子が話しかけてきた。 どうも、「こんにちは」と言っているようだ。素直な子供だ。

 部屋は屋根裏部屋。一泊、40ユーロ(4,800円)。ガマンしよう。さすがに町を代表するホテルだけあって内装はしっかりしている。