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日付: 2016年4月10日
場所: ババ峠(Sedlo Bana 標高527m)
地域: スロヴァキア(Slovakia) カルパッチア山地
訪問地: Pezinok, Sedlo Baba, Pezinok, (car), Win


 



ホテル

 ホテルは一泊30ユーロ(3,600円)。オーストリアの感覚からすると、かなりお値打ちだ。部屋は狭いけれど、朝食の豪華さには、少し驚いた。 朝食は、乗馬クラブのレストラン。何人宿泊しているかは不明だが、ビュッフェ形式の立派なレストランだ。何んといっても、食器類や家具が上品である。  都会のホテルならば、この朝食を食べるだけで20〜30ユーロは行ってしまいそうだ。  

 時刻は、日曜日の午前7時半。外では乗馬を楽しむために集まってくる人がボツボツ。  

 

 


面白い壁絵  

   空を黒い雲が覆っているが、雨粒は落ちて来ない。昨日よりは天気状況は良い。ホテル前の駐車場に自動車を止めて、自転車に乗り出す。

 10分程走ると町に着く。ペジノック(Pezinok)は城壁都市で、町の入口に崩れかかってはいるが、石壁が残っている。 城壁の中は旧市街で、どことなく趣がある。その中で見つけたのが、家壁に描かれた壁絵である。

 どれもこれもかなり劣化はしているが、中世の城壁内部の絵や何かのマークなどが描かれている。誰が描いたのだろうか。 これは面白い。またこの裏通りも、掃除が行き届いており、感じが良い。



 


 教会のミサに通う人々  

     町の中心は教会だ。今日は日曜日。通りの商店は全て閉まってはいるが、なぜか人通りが多い。 よくよく観察してみると、日曜ミサに通う人達のようだった。何でもバスで来る人もいる。  

 このような風景を観ると、宗教と生活が密着しているなあと感じる。 中世の頃から繰り返されている風景が、今、目の前で行われていることに、どことなく不思議な感じがする。  

 

 


 ブドウ畑の向こうに見えるカルパチア山脈  

 この辺りは、葡萄の産地。スロバキアでも有数のワインの生産地である。 よく手入れされた葡萄木の向こうに、カルパチア山脈が見える。  

 オーストリアとスロバキアの国境辺りにあるカルパチア山脈は、小カルパチアと呼ばれる。起伏が緩やかさが特徴だ。

 そのカルパチア山脈にある峠を目指してペダルを漕ぐ。残念ながら、幹線道路の隅っこを自動車に注意しながら走る走りだ。 山からの風、つまり北風が強い。ペダルを一所懸命に漕ぐが、あまり前に進まない。近くを自動車が猛スピードで追い越していく。 これは注意だ。



 


鉄とアンチモンの鉱山

   しばらく進む。そして山麓近くまで来る。左手に高い煙突が見える。地図上では鉱山マークが描かれている。 周りに、何かこの地を説明する看板でもないかと探してみる。

 すると一つの看板が目に入る。近づいてみる。何んとこの地域の地質図が掲示されていた。 残念ながらスロバキア語で書かれているので、何がなんだかさっぱりわからない。ただ、地質学の専門用語は、世界でほぼ共通だから、何んとなく察しがつく。

 ブラチスラバからペジノック(Pezinok)地域には、花崗閃緑岩(Granodiorite)の岩体が貫入している。 その岩体まわりに熱水鉱床が生成されており、黄鉄鉱(Pyrite)と輝安鉱(antimonite)が産していると推測がつく。つまり、鉄とアンチモンの金属鉱床だ。

 熱水鉱床は、一般的に人間にとって毒となる多様な元素を含むものが多い。このことから環境負荷が高い。それゆえに煙突が高いのだろう。 しかし昔のことだし、チョコスロバキア時代を含めて、鉱害は発生しなかっただろうか。心配だ。



 


1689年の石碑  

     看板から100m程離れたところに、石標が立っている。この石標上部に1,689という数字が刻み込まれている。 恐らく西暦1,689年に建立したものと考えられる。

 今から300年以上も前の世界。世の中は、一体、どんなだっただろうかとWikipediaで調べて見る。世界では清とロシアが領土確定したネルチンスク条約を結んだ年。 日本では、元禄二年とある。元禄年間で、松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立った年であり、「赤穂浪士の討ち入り」の13年前である。

 17世紀後半の世界、今と同じように朝になれば日が昇り、昼間は働き、夕方になれば、仕事を終えて一杯やってた人もいたであろう。 当然だが、当時、生活を送っていた人たちは、この世にいない。300年後、この世は、どうなっているだろう。この石標をしげしげと眺める人はいるのだろうか。  



 


楽々で峠に到着、ちょっと一休み  

   峠へは緩やかな登り坂が続いた。これは楽々だった。高低差が400mもない登りは、いつの間にか、峠に到着してしまった感じだ。

 時刻は午前11時過ぎ。ちょっと霧が出ている。また少し寒い。この峠の横にはスキー場がある。標高500m程度だから、さぞローカルなスキー場だろう。

 このスキー場に併設しているのか、一軒の峠の茶屋がある。茶屋前の駐車場には数台の自動車が停まっている。営業しているようだ。 小腹が空いたし、少し、寒いことから、コヒーでも飲んでみようかと考える。

 店の中は、暖房が聞いていて暖かだった。壁に立派な風景が飾られている。入り口近くのテーブルに着席する。茶屋は家族経営らしく、60歳を超えた主人らしき男が、メニューを持ってきてくれた。 スロバキア語で書かれていて、何がなんだかさっぱり意味不明だ。結局、コヒーとカウンターテーブルに載っているケーキ一切れを注文する。400円なり。

 一人でいると、どこからかのテーブルから一人の男が歩いて来て、スロバキア語らしき言葉で何か話しかけてきた。 ポカンとしていると、どうも下の町(Pezinok) から自転車で来たのかと言っているようだった。私は、首を縦に振って自転車のヘルメットを見せた。 男は、変な顔をして自分のテーブルの方に帰っていった。



 


 下り道で道草  

   下りは来た道を帰る。ちょっと寄った鉱山が気になり、再度、寄ってみる。 不思議に思ったのは、閉山した鉱山なのに、どこか活気が感じられるのである。

 煙突が立つ建物は、窓ガラスが割れ、一部の壁が崩れている。これは、閉山した鉱山によくある風景だ。 ただ、その隣に、ゴルフ場があり、そこで若者が数人、ゴルフを楽しんでいた。 また、鉱山手前には、病院がある。病院に入るにはゲートを通過しなければならないが、そのゲート前にたくさんの自動車が駐車している。

 鉱山敷地の後利用として病院とゴルフ場とは、これは面白い。



 


目を引く壁画  

   この病院には、ペズノック(Pezinok)からバスの連絡があり、その待合室らしきところの壁全面に絵が描かれていた。  

 誰が描いたかは知らないが、その芸術性の高さは大したものである。森の四季の変化を題材にして左から右に春夏秋冬と移っていく。 これは素晴らしい。ここで、このような絵を眺められたことに、ちょっと得した感じだ。