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日付: 2016年3月21日
場所: バルティス―レドニス世界遺産_2(Valtice−Lednice)
地域: モラビア地方(Moravia) チェコ共和国(Czech Republic)
訪問地: Czech Republic---, Mikulov, Lake Hlohovecky Rybnik, (E9 bicycle road), Lednice, Breckav, Lednice chateau, Border between Austria & Czech


 


ホテルの受付は超美人

 土曜日の夕方にチェックインした。午後5時から午後6時には、ホテルに到着するとあらかじめ連絡がしてあった。おかげでスムーズにチェックインできた。 受付机の前に座っていたのは20歳台と思われる金髪のチェコ美人だった。なんでもチェコには美人が多いと聞いていたが、なるほどと感心した。  

 土曜日の夜は、大勢の宿泊客がいた。ホテル前の駐車場には多数の自動車が停まっていた。ところが日曜日の夜に宿泊したのはどうも私一人のようだった。 週末とそれ以外で、こんなにも違うものだろうかと不思議に思う。まあ、のほほんと呑気に宿泊しているのは私ぐらいだろう。  

 土曜日のチェックイン時に受付にいた美人の姉さんを再度、見たいと思った。ところが残念ながらチェックアウトまでその娘さんの姿はなかった。 代わりに、娘さんの母親らしい女性が朝食の世話をしてくれた。このおばさんは、チェコ語しか話さない。 それでも不思議なもので、手ぶりで言わんとすることが通じるから不思議だ。ちなみにホテル名は、「Hotel Golf Garni」だ。2泊で88ユーロ(約1万円)なり。  

 

 


昨日の続きを走り始める  

   欧州縦断自転車第9号線を、自転車で北上する。インタナショナルな自転車道だから、さぞしっかりと手入れしてあると思ったら大間違い。まったくひどい田舎道だ。 これは昨日のお話で語った。

 今日の出発点からレドニス(Lednice)の街までの距離は2km〜3kmだ。ダート道だが、あっと言う間に街についた。



 


それぞれの町や村の入口に、立て看板  

   オーストリアやチェコの村を、自転車でブラブラするのが好きだ。嬉しいというか、羨ましいと言うか、大概の村の入口には、その村の説明看板が立っている。 この立て看板は初めて訪れる人にとってはとてもありがたい。村の特産物、歴史などが立看板上に書かれている。  

 レドニス(Lednice)の街は、世界遺産に登録されている。したがって旅行ガイドブックには、しっかりと街の由来が書かれている。 ただし普通のガイドブックには書かれていなが、街の立て看板にはしっかりと書かれているものがある。それは自転車道の位置だ。 自転車乗りにとって、地図上に描かれた自転車道の情報は貴重だ。とてもありがたい。   

   

 

 


深い森の中で迷う  

  私はレドニス(Lednice)の街は、ある程度大きな街だと思っていた。ところが、その思いは違っていた。街の中心にレドニス城が燦然と聳え、その周りには、ほとんど何もない。 ホテルやペンションらしきものが、いくらかある程度だろう。

 それで自転車道9号を進んでいけば、自然とレドニス(Lednice)の街にたどり着くだろうと自転車のペダルを漕いだ。 途中、こりゃ迷ったかなと思ったが、森の中があまりに静かで鬱蒼としているので、どんどんと森の中へ進んでいった。樹齢が優に200年を超えるような巨木が立ち枯れになっていたりする。 何んとも迫力がある。



 


どことなく共産圏の雰囲気を残す街

   そうこうと7kmほど進む。するとブレコブ(Breckav)という活気のある町に着いた。今 日は月曜日だ。買物を急ぐ人達で街は賑わう。

 建物や色使い、そして人々の服装、また自転車の多さなど、オーストリアの普通の街とは、どことなく雰囲気が違う。 鉄のカーテンが取省かれて25年以上の月日が経つ。ただ、街に染みついた、所謂、雰囲気は、まだまだ健在なのだろう。  



 


ちょっと変わったお城  

   ブレコブ(Breckav)の街をあとにして、再度、来た道を帰る。ブレコブ(Breckav)の街と森との間に説明立て看板が立っている。 この看板に、私が迷った森の名前が、「ニバ・ディジャ自然公園」であることがわかった。道理で、立派な森が残っている理由がわかった。 この森は、ちょうどディジャ川(オーストリア側ではタイヤ川と呼ぶ)の氾濫源の中にある。それゆえに自然公園の概念が導入される以前から、人の活動から遠ざけられていたのであろう。 面白いものだ。  

 7km程の距離をかなりの速度で走り切る。全くの平地なので、脚への負担はほとんどない。  

ジャヌブハード(Januv Hard)と名乗る石造りの城に出くわす。リヒテンシュタイン家が、狩り用に使っていたお城だ。 今の時代は飛行機が空を飛ぶ。したがって世の中で、まったくの無音地域を探し出すのには苦労する。欧州ではそのような地域は皆無だろう。 このお城は19世紀の始めに造られたという。当時は、さぞかし静かだっただろうなあと変なことを考える。  



 


リヒテンシュタイン家の財産には脱帽  

    レドニス(Ledice)城は、立派なお城だ。一点集中投資型城であフランスのベルサイユ宮殿やウィーンのシェーンブルン宮殿と比べるのは愚だ。 この人里離れたところに、ようもまあ、こんな贅沢な城を建てたものだと思う。この城だけではなくて、中央ヨーロッパの至る所にリヒテンシュタイン家は、立派なお城を建てた。

 貧乏人は、どうやってそんな巨額の富を造ったのだろうかと考える。これは私の想像だ。 恐らく土地を農民に貸して収穫物に、たんまりと税金を掛けてお金をあつめたのであろう。そうでもしないと、理屈が合わない。 今は、世界一のお金持ちは、マイクロソフト会長のビルゲーツらしいが、今の世も昔の世も、富の偏在はある。 富の偏在がなぜ生じたのであろうかと、とりとめもない瞑想に耽る。



 


自然の氾濫原を生かした城前庭園  

   レドニス(Lednice)城の北側には庭園が広がる。残念ながらこの庭園は、自転車走行禁止だ。 MR-4 (自転車)を、お城の前にあるインフォ前に駐輪させる。そして歩いて庭園に入る。この庭園は園の奥まで2km〜3kmはあるほど広い。 せっかくだからと2時間程かけて、庭園を一周した。

 さすがに、リヒテンシュタイン家でも、この庭園の徹底的な整備まではお金が回らなかったように見える。自然条件を生かした普通の庭園だ。 取り入って観る物もない。

 庭園を出る。自転車をインフォ前から回収する。そして乗り始める。学校帰りだろうか、小学生らしい子供が数人戯れて遊んでいる。 その子供達の前を自転車で通り過ぎると、一人の子供から声を掛けられた。「こんにしわ」と言っている。明らかに日本語だ。この子供が、どこで日本語を覚えたのうだろうか。 まさか、テレビでの漫画からだろうか。しかし、「こんにしわ」と訛っているところが面白い。「チ」が、うまく発音できないのだろう。



 


  国境の高台から眺める景色  

   午後3時には、3日間の自転車走りを終えてオーストリアとチェコとの国境の高台に帰ってきた。  国境線近くにある2〜3台の乗用車がやっと停められるような駐車場を見つける。そこに自動車を止めて、少し、ブラブラと歩いて散歩する。

 今は、両国間を自由に行き来できる。しかしウィーンから、随分と遠くまで来た印象だ。たったの100kmも離れていないのに、この精神的な距離はすごい。