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日付: 2016年2月28日
場所: ヘルビン村(Helvin)
地域: モラビア地方(Moravia) チェコ(Czech Republic)
訪問地: Laa an der thaya(austria), Hevlin, (Greenways Praha-Wien), Novy Prerov, Novosedly, Drnholec, (414), Hrusovany, Hrabetrice, Hervin, Laa an der thaya(austria)


 


清潔なホテル

 宿泊したホテルの料金は50ユーロ。ちょっと高価だ。その分、部屋もトイレもシャワーも新しく綺麗だった。 何と言っても、暖房機が2つあり、うまく働いた。これで快適あ夜を過ごせた。  

 レストランでは、愛想の良い50歳過ぎのマダムが朝食を準備し私の朝食を待っていた。 バイキング式で、パン2つ。コヒー2杯、オレンジジュースも2杯、ヨーグルトとハムと卵とチーズを食べる。 ちょっと食べ過ぎだ。どうもバイキング方式は貧乏根性が、もろ出てしまう。わかってはいるが、 「食べないと損だ」という気持ちから悟りが開けない。  

 午前9時前にホテルを出発。雲が深く立ち込めている。天気予報では、良いようなことを言っていたが、これから好転することを期待する。  

 

 


国境線がくっきり  

   昨夜、散歩したラーの街を抜けて、国境に近付く。自転車でチェコへの国境越えは始めてだ。

 面白いことに、国境が線で引かれていた。 オーストリア側とチェコ側で道路舗装に使った材料の色合いが違うようで、モロ国境線が見える。 これは面白いと思う。

 国境近くには、カジノやら両替所やらが建っている。いずれもチェコ側だ。チェコからオーストリア側に買い物に行く人たちが多いのだろうか。 面白いのは、元国境警備か、あるいは何かの建物だったものが、今は子供の遊技場になっていることだ。 時代は平和になった。



 


川沿いの土手に並ぶトーチカ  

   国境を越えて2q程走ると、ちょっとした運河を渡る。 地図ではディジェ(Dyje)と名が書かれている。 よく手入れされた運河で、ナチス時代かあるいは冷戦時代か土手に数百メートル毎にトーチカが並んでいる。 最初に目に入った戦争の跡だ。  

 トーチカは、当たり前のことだが頑丈に作られている。 数十年たってもビクともしていない。 冷戦時代、チェコスロバキアはすごい密告国家だったという。 その時代を知らない世代が、どんどん増えているようだが、このトーチカはいつまで風雪の中に残っていくものだろうかと変なことを考える。    

 

 


オーストリアの田舎との差を感じる  

 チェコの人口は約1千万人。オーストリアは約850万人だから、チェコの方が多い。 しかし、チェコのGDPは、EU平均の半分以下だという。もう国境もなくなったことだから 人・物・金が自由に動いて国毎の富が平均化されていくと思うが、どんなもんだろう。  自国通貨のクローネが邪魔しているのか、あるいは経済政策が悪いのか。

 天気のせいか、あるいは日曜日のせいか、村に活気が感じられない。 オーストリアでは、当たり前に見かける農家所有の重農機具が、あまり見当たらない。

 国の富は政治にありとは、誰かが言っていたが、なるほどかなとも思う。



 


農地が広い

   畑の中の自転車道を走る。 社会主義時代の名残なのだろか、農地の単位がすごく大きいのを感じる。 これだけ大きいのであれば、大型農機を使っての農業も簡単と思うが。やはり 投資する金がないのだろうか。

 見渡す限りの畑である。それもフラットな畑である。 どこの畑もそうだが、畑の真ん中にちょっとした小高い茂みがある。よくよく眺めてみると 何とそれはトーチカだった。ここにも昔の痕跡が残っている。

 しかし、いたるところにあるトーチカ、何に役立ったのだろう。



 


鉄道橋にもトーチカ  

   国境を越えて10q程、自転車道を走る。 別にトーチカを探すために自転車で走っているわけではないが、いろいろなところにトーチアが観られる。 ディジェ(Dyje)運河を鉄道が横切る。その橋を見渡すところにトーチカがある。

 衛星写真がなかったころは、橋は重要な軍事施設だっただろうからその重要性はわかる。 ただ、何人かの軍人を単に橋の安全を守るためだけのために配置するのはと思うが、そういう時代だったのだろう。



 


  平和の証  

   オーストリアとチェコの国境を越えてから、東方向に自転車道上を走ってきた。 再度、その国境の近くにやってきた。

 今度の国境は面白い。高さ50cm程度の三角錐に形成されたセメントが、ジャスト国境線上に 置かれていた。 かっては、ここに何かあったのだろが、今は、何もない。チェコ側の国境に沿って、農業用の道路があるだけだ。 ちょうどその道路が国境の位置を表している。

 日韓が竹島の領土権で何十年ももめている。 漁業権がからむことから解決は難しいだろうが、このオーストリアとチェコの国境を観ていると「国境とは何ぞえ」と考えさせられる。



 


  正午を廻って疲れが出だす  

   知らなかったことがある。チェコにおいてもワインを生産しているのだ。 自分自身、オーストリアが北限かなあと思っていたが、チェコの国内を走っても丘の広がるブドウ畑を目にするのである。

 恐らく品質はあまりよくないだろうが、結構、ドライなさっぱりしたワインかもしれない。そのうちに話の種で飲んでみよう。

 時刻は正午を廻った。4時間程、走ったせいか、少し疲れてきた。



 


  チェコの街を観ながら昼食  

   朝食をおもいっきり沢山食べたためだろう、ちょっと胃の消化が遅れているようだ。 時折、ゲップが出る。正午を過ぎても腹が減らないのである。

 時刻は、午後1時を過ぎた。 今いる場所は、国境から10q程、チェコ側に入ったルソバ二(Hrusovany)という街だ。

 街の中央で広場に面したところにベンチが2つあった。 その一つに座る。そしてオーストリア側から持ってきたパンとツナの缶詰、パプリカ1つで 昼食を始める。

 日曜日。さすがに街の中心だけあって、時折、人が通る。普通の自転車に乗って移動している人を多く見かける。 自動車は、どことなく古い車が目につく。オーストリアとはかなりの落差を感じる。  



 


帰ってくる  

   午前9時に国境を越えてチェコ側に入った。そして午後2時には、オーストリア側に帰ってきた。 歴史的なバックグランドの相違が一つの理由だろうが、ラー(Laa an der Thaya)の街がきれいに見える。

 東西の壁がなくなって20年弱の時間が過ぎた。国の富は、まだまだ均質化していない。 至る所に残るトーチカは、無言の過去を話かける。

 やがて月日は流れ、チェコ側の風景も変わっていくだろう。時間は無言のまま過ぎる。