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日付: 2015年12月29日
場所: サクロ山(Monte Sacro 標高1705m)
地域: カンパニア州(Campania Region) イタリア(Italia)
訪問地: Bosco,(sp432), Novi Velia(648m), Strada Monte Gelblison, Monte Sacro(1,705m) Novi Velia(648m), Bosco


 


急傾斜での駐車

 宿泊はボスコ村(BOSCO)と言う村、今日の目的地はノビベリア村(Novi Velia)で ホテルから30q程、離れている。少し、遠出だ。  自動車に付いているナビに従って運転をした。 このナビ、まったく分からない場所に行く場合は、とても便利であるが、機械的に 道を選んでいるようで、時に、おかしな道を選ぶ。  ノビベリア村(Novi Velia)は、かなりの寒村らしくナビが誘導する道は、 で、狭くそして傾斜が15度を超えるような酷い田舎道だった。  

 今回のイタリア遠征で気づいたが、南イタリアの村には、それぞれ村の中に 駐車スペースが作られているようだ。ノビベリア村(Novi Velia)には、 急傾斜のうえに猫の額のような場所に作られていた。幸い、空きスペースがあった のでそこに駐車する。隣は、オリーブ運搬用の4輪駆動車が停まっていた。  

 

 


知らないオジサンに道を尋ねる  

   今回は、自転車で林道を攻める。出発点は標高648mのノビベリア村(Novi Velia)だ。 終点はサクロ山の頂上で標高は1,705m。ざっと標高差で1qの登りとなる。

 サクロ山の頂上には、修道院がある。ノビベリア村(Novi Velia)からは、この修道院 の建物が山の頂上に建っているのが眺めることができる。隣に大きな鉄製の十字架 も建っているようだ。今から、あの頂上を目指すのかと思うと、結構な威圧感を感じる。

 頂上へは自動車が通ることが可能な道路が通じているようで、その入り口を探す。 地図上では、ゲルブリッソン山岳道路(Strada Monte Gelblison)と名前が書かれている。

 60才ぐらいの男の人が、村の道路の掃除を行っていた。そのオジサンに、サクロ山の 頂上方向を指さして、あそこに行きたいのだがというジェスチャーをした。すると 私の意思がこのオジサンに通じたようで、東側の道を指さして、あっちへ行けという ようなジェスチャーをしてくれた。これで助かった。

 何か、人類が最初に言葉を獲得したのは、数百万年前らしいが、もしかしたら 身振り手振りのジェスチャーがその根源かもと変なことを考えた。



 


日陰は滑る道  

   ゲルブリッソン山岳道路(Strada Monte Gelblison)は、 全長が13q、高度差1qの舗装道路だ。 登り口に周辺の案内板があり、周辺のハイキング推薦コースが地図上に描かれていた。 夏になれば、結構、ハイキングを楽しむ人がいるようだ。  

 時刻は午前10時半。山岳道路を登り始める。地形の関係から日陰道を走ることになる。 傾斜は10%を超える日陰道で、誰もいない。少し寂しい感じだ。  昨夜の露が残っているのか、道が濡れている。  なぜかそれが滑るのである。自転車を降りて、再度、サドルに載ろうと地面を右脚で 蹴ると地面が滑るのである。日陰の走りは、結構、危ない。  

 

 


山岳道路を独占  

 年の暮れが押し迫るこの季節に、のんびりとサイクリングを楽しむ人は 少ないようだ。サイクリングどころか山には誰もいない。

 しっかりと整備された道路を走っているが、誰も私を追い抜いて行かない。 まさに道路を独占している状況だ。  全長が13qもあるのに、なぜか延々と登り坂が続く。先のことを考えると 嫌気がさす。こういうときは、ペダルを漕ぐ足もとに視線を落としてジッと耐える。 よくスポーツ選手のインタビューで、「まずは、目の前の戦いに全力を尽くし、 結果は、後でついてくる」というような答えをする選手がいるが、気持ちがわかる。

 標高が1,200mを超えると、なぜか平坦道が数キロメートル続く。普通の道を 普通に走っているようで、緩やかなアップダウンが続く。どこか、せっかく足で 稼いだ高度なのに、下り道で消費してしまうのがもったいない感じだ。



 


 登りの後半戦は辛い

   標高1,200mから1,300mでアップダウンを繰り返し後、標高1,400mから、再度、急傾斜 の登り坂が始まる。道路から遠方を眺めると雲海が見える。ペダル漕ぎが苦しい。

 ミズナラの落葉が、道路脇に山のように積る。 道路上に一台の車が停車していた。その隣に一人の老人が、薪でも集めているのだろうか 木々の枝を折って車に積んでいた。人には、人それぞれの世界があるもんだと感じる。 この老人の世界は、どんなもなのだろう。

 標高1,550mを超えると日陰道に入る。さすがに寒い。夏用の手袋では、少し、つらい感じだ。 それよりも、息が切れる。夏の間は、頻繁に、自転車での峠登りに精を出したが、最近、 サボっているからなあ。残りの高度は、あと200m弱だ。角を曲がると頂上に聳える修道院の 建物が見える。息も絶え絶え、ついには押し歩きで前に進む。

 車道の終点には、12時40分に到着した。ざっと2時間の戦いが終わった。ここからは、 石畳の登り道となる。自転車は乗れない。歩いて自転車を押す。石畳の上に、広葉樹 の葉が山のように積もっている。この上を歩くと滑る。結構、この石畳の上の歩きは つらい。    



 


 無人の修道院  

   頂上の修道院は綺麗に整備されている。 ところが、ここには誰もいないのである。まったく人影が見えない。 まさに独占状態だ。宗教施設には落書きする人がいないのだろうかと考えてしまう。 広い修道院の中には、空の青さが眩しい。どことなく幻想的な雰囲気だ。



 


  素晴らし眺め  

   思うに、なぜこんな不便なところに修道院を建てるのだろう。俗世間を離れて 修行に打ち込むためだろうが、なぜ、ここまでもと思う。いつの時代も、 浮世を離れて生活したい人は多いものなのだろうか。

 それにしても、ここで人ひとりが生活するには、下界からのそれなりのサポートが 必要と思う。多数の人が、この山の上に立てこもれば、結構な手間がかかると思うが。 水はどうしたのだろう。食糧はどうしたのだろう。疑問が次々と浮かび上がる。  自分が、例えばここで生活するとしたらどうだろうかと考える。思いは続く。



 


なぜか立ち去るのが惜しい  

   この修道院は趣がある。気に入った。ずっとここに居座っていたい。夜は、 どんな感じになるのだろう。

 ただ、冬の山の頂上は寒い。体が冷える。そうそうは長居はできない。惜しみつつ、 下り始める。下りは、持参した冬用の手袋で重武装だ。



 


寒村で一生を過ごす人々  

   握力が弱っているのだろうか。今回は、下りのブレーキ握りがとても辛かった。 何度も休憩しての下り道だった。ただ、2時間かけて必死に登た山岳道路も、 下りはあっけないものだ。途中休憩を入れても30分程度で下ってしまう。まあ 自転車での山登りは、こんなものだろうが。

 午後2時には、下の村であるノビベリア村(Novi Velia)に到着した。 時間的な余裕があったので、村の中を散歩する。

 子供が一人、村の広場で、花火をして遊んでいた。一人遊び。この子供は ここで生まれて、ここで一生を終えるのだろうか。 人の一生とは、こんなものなのだろうか。

 しかし、このような小さな村が寂れていかない理由は、なんなのだろうかと考える。 考えても考えてもその理由がわからない。世の中にはいろいろと不思議なことがある。