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日付: 2015年12月27日
場所: ロッカグロリオーザ村(Rocagloriosa 430m) 
地域: カンパニア州(Campania Region) イタリア(Italia)
訪問地: Bosco, Acquavena, rocagloriosa(430), (SS18), Guiliano, Scario


 


南国の植生

 ベランダからの風景は、とても良い。地中海、そして港を囲む山々が、ざっと見渡せる。 12月も、あと数日しか残っていない。しかし広葉の落葉樹が、まだ葉色を変えたばかりだ。 一体、目の前に広がる木々は、いつ落葉させるのかが心配になる。  

 オリーブが収穫の時期を、ちょうど迎えているようだ。 ここのオリーブ栽培は、実が黒くなって自然落下するまで、待っているようだ。 木の下に、細かい網目のネットを敷いて、落下したきた実を集めて出荷するようだ。  全て、手作業だ。  

 

 


朝食  

   食料調達をしていないので、食べ物があまりない。 今朝は、ウィーンから持ってきたコヒーと缶詰とキャベツ、そしてリンゴ一つだ。

 空は雲一つなく見事に晴れ渡った。無風状態だ。曇りと霧ばかりの憂鬱な ウィーンを思うと、ここは別世界のようにみえる。来てよかったと思う。



 


カメラの調子が悪い  

   ホテルの西には、標高が千メートルを超えるグルゲリア山が見える。 何んとも美しい風景だ。  

 昨夜から気になったが、カメラ(SONYのα7r)の調子が悪い。スイッチを押すと ギーギーという音がする。写真周辺のピントが甘い気がする。スイッチを切ったり、 レンズをはずしてみたりするが治らない。  

 これは本当に困った。代替のカメラは持ってきていない。いろいろな景色・風景を 撮ることが楽しみなのに、それができないのは悔しい。約1年で2万枚の写真を撮った。 これだけで壊れてしまうとは、まるでトホホの世界だ。さて、どうやって治そうか。  

 

 


孫と遊ぶ老人  

 まずは、ホテルに一番近い村であるボスコ(BOSCO)に、自転車で行ってみる。距離にして 2〜3km程度だろうか。

 村の中心街は、車が入れない細い道が蜘蛛の巣のようになっている。 イタリアの地方都市にありがちな風景だ。窓の外に、洗濯物が干してある。これもイタリアだ。

 村の中に子供が一杯いる。若者も多い。これは驚く。 過疎の問題は、どの国でも深刻だろうが、 日本と比べたらイタリアはそれほどではない印象だ。

 村のちょっとした広場に、5歳くらいの子供がもちゃの車に乗り、その車を後ろでラジオコントロールする 老人がいた。子供の横には、母親もいる。先日のクリスマスプレゼントでおじいさんが孫に 買ってあげたのであろう。何んとも絵になる風景だ。

 教会の前に大木の根が燃えてくすぶっていた。 この教会前に、先日まで大木が茂っていたが、それが枯れてしまったのだろうかと残念に思った。 ところが、後々、いろいろな村を訪ねてみると、どの村の教会の前にも大木の燃えカスが残っていた。 どうも、教会前の大木燃やしがクリスマス行事の一つのようだ。

 今日は、12月27日で日曜日だ。教会でのミサがあるようだ。村の小道で、中学生くらいの少年二人と出会う。 上半身はネクタイをしてピシッとしているが、下半身はヨレヨレのジーパンと運動靴である。 そのチグハグさが、滑稽だ。



 


倉庫を改造した食料品店

   ボスコ村(Bosco)村からロッカグロリオーザ村(Rocagloriosa)に、自転車を走らせる。途中、食料品店らしいお店の 前を通る。建物の倉庫を改造したジャンクショップといった感じだ。

 こんなところで何を売っているのか面白そうだ。田舎の雑貨店の雰囲気にも興味がある。 中に入って驚いた。結構、品揃えのしっかりしたお店だ。ハムやチーズ売りの専用カウンターまである。

 今は自転車だから、本格的な買い物はできないが、お昼用に、ミカン3つ、キュウイ3つ、スライスチーズを買う。 ミカンとキュウイは重さ売りで、レジで重さを測って売ってくれるシステムかと思ったが、なんと、重さを測る 専門の人が、店の奥にいた。これには驚いた。そんなにお客も入っていないようだが、これでやっていけるのだろうかと ちょっと心配になる。  



 


ロッカグロリオーザ村からの風景  

   不思議に想うことがある。まず、イタリアでは、村が発達して展開して行く場所として、 どうして平地ではなくて、山の中腹や頂上部になるのだろう。この理由は、いろいろと考えてみるが、 これぞというか解が見つからない。頂上は敵から攻められにくい、頂上は風通しがよくて疫病が少ない。湿気が少ない。 といろいろな理由が考えられるが、理由はわからない。水調達や交通など、とても不便に思うが。

 ロッカグロリオーザ村(Rocagloriosa)も同じで、山の頂上部に石造りの旧市街が所せましと経つ。 なんで、わざわざと思うくらいだ。その頂上から周りを見渡す。なんともな絶景である。これが理由だろうか。



 


  港町  

   山の上から海辺まで降りる。海岸に広がるスカリオ(Scario)の街を散歩する。のどかな海岸風景だ。

 思うにどこのカフェ(イタリアではBAR)も、男達でにぎやかだ。何を話題にして喋っているのか 大きな声で話しあっている。昼間っから、お酒を飲んでいる人もいる。 大概は老人だ。これらの老人は定年退職した人達だろう。若者もいる。失業者だろうか。 それにしても女たちは、どこに行ってしまったのだろうか。



 


日曜日昼下がりのカフェ  

   ちょっと休もうと思う。街の隅っこの方に、賑やかでないカフェがあったので、入ってみる。 50歳過ぎの女将が一人いて、お客も含めて誰もいない。

 残念ながら私はイタリア語はわからない。たとえ英語を喋っても、女将は理解できないだろう。

 こういう時は、欲しい物を、大きな声で短く言うことに限る。「カプチーノ」とわかりやすく言ってみる。 これは通じた。

 建物の前に並べられた椅子に座り、ゆっくりと飲む。日陰でも、全然、寒さを感じない。人それぞれの人生があり、 人それぞれが一つの世界の中で生きている。この海岸で、たむろしている男達も、どんな世界に生きてきて、これから 生きていくのだろうかと考える。



 


ホテルは標高500m  

   ホテルを出発点とすると、海岸に降りた限りは、最後には必ず登りがある。

 時刻は 午後2時半をまわった。

 海岸からホテルまでの一本道を、自転車で登っていく。まわりはオリーブ畑ばかりだ。 この熟れたオリーブの実は、どんな味がするのだろうかと考える。道に落ちていたオリーブの実を拾って 口に入れてみる。それを噛む。ジワッと苦味が強い、とても食べられない代物だった。これはまずい。