home

日付: 2015年5月16日
場所: グロケンヒュッテ峠(Glockenhütte:標高 2,024m)、クロムノック山(Klomnock:標高 2,331m) オーストリア(Austria) ケルンテン州(Kärnten)
訪問地: Hochrindl, Ebene Reichenau, Nockalmstraße, Glockenhütte(2,024m), Klomnock(2,331m) Nockalmstraße, Ebene Reichenau, Hochrindl


 


天気は、今一つ

   夜が明けた。どうも、天気がパッとしない。窓の外の景色は、何も見えない。濃い霧が立ち込めている。  

 どこに行こうかと迷う。湖畔めぐりは、昨日やった。同じような湖畔は近くにはない。とりあえず、 エベネ・ライシェノウ(Ebene Reichenau)の村に向かうことにする。  

 

 


昨日よりは、状況は良いかも  

   目指すは、ノッカルム通り(Nockalmstraße)というサイクリング道路だ。 道路の最高標高が2,024mという。

 天気が、あまりに悪かったら、途中で諦めて帰ってくれば良い。そんな気持ちで出発だ。 遠く、山々の頂が、霧を通して眺めることができる。もしかしたら、天気は回復傾向にあるのかもと 楽観視する。



 


 通り過ぎるオートバイの数がすごい  

   実は、ノッカルム通り(Nockalmstraße)について勘違いしていた。自転車専用道路と 思っていた。ところが、この通りは、要は、有料のスカイラインだった。オートバイや乗用車が ひっきりなしに追い越していく。結構、これは危ない。ちなみに、このスカイラインは、自転車は無料で、 オートバイは10ユーロの料金を払わないと走ることはできない。  

 登りは、延々と続く。時折、現在地標高を閉める立札が立っている。標高1,500mを越える。息も絶え絶え だ。必死に、つらい登りに耐える。  

 

 


標高1800mには、残雪  

   ここらあたりの植生限界高度は、標高1800m程度らしい。この高さを越えると、背丈の高い木々が なくなる。変わって、高山特有の風景が現れる。登り傾斜も、若干、ゆるくなったように見える。

 道路脇に、残雪が残る。まだまだ、春は遠いようだ。  



 


  標高2024mの峠に到着  

   標高1900mを越える。辺りの風景が、物珍しを感じる。多くの写真を撮る。霧も、完全ではないが、 一部、晴れ渡ることもある。来てみてよかったと思う。

 標高2024mの峠の駐車場は、オートバイが多数並んでいる。 どれもこれも排気量が1000ccを越えるモンスター級のオートバイばかりだ。

 思うに、モンスター級のオートバイのドライバーは、どうして、皆、一様に、高体脂肪系の 体形なのだろう。体が大きくないとオートバイをコントロールできないのだろうが、それにしても、 皆が皆、同じ体形だ。



 


 駐車場の喧騒を離れて昼食  

   多くの人々が、峠の茶屋前にある駐車場で談笑している。私は、一人だ。少し離れた小高い岩場に 陣どり、昼食を摂ることにする。

 幸い、遠くの山々を見渡すことができる程度に天気は回復している。山肌は、まだまだ、こげ茶色の 植物で覆われている。雪は、消えても、まだ夏の景色には程遠い。



 


標高2,331mのKlomnock山頂を目指す  

   昼食を済ます。時刻は、正午を少し回ったところだ。峠の茶屋前の看板情報では、 駐車場に隣接する標高2,331mのクロムノック(Klomnock)山頂までは、1時間の行程とのことだ。 2時間弱で、行って帰ってくることができる。出発する。

 残念ながら、履いている靴は、普通の運動靴だ。ところどころ足場が悪いところがある。恐る恐る登る。 短距離ながら雪渓を横切るところもある。これには参った。雪渓上の足跡を慎重にたどりながら、前に 進む。結構、危険な登りだ。

 山頂には、午後1時過ぎに着いた。遠く北西に連なる3000m級のアルプスの山々は雲がかかっており はっきりとは見えない。ただ、まだまだ多くの雪が残っているようだ。  



 


 下りはラクラク  

   午後2時には、峠の茶屋まで降りてきた。すぐに下り始める。

 時刻もまだまだ早い。途中、いろいろな場所に道草をする。このベンチと机、場所的には最高だ。 気に入る。



 


野に咲く高山植物  

   高山植物が、道沿いに多く咲いている。ピンク、紫、とどれもこれも、地味ながら美しい。

 



 


どんな人が住んでいるのだろう  

   標高1,900mに建つ一軒の家を見つける。ずいぶんと景色に溶け込んでいるウッドハウスだ。 電気も来ないこのような家には憧れる。老後は、こんな家に、一人住んでみないものだ。