home

日付: 2015年4月22日
場所: マルヒフェルト運河 (Marchfeldkanal) オーストリア(Austria) ウイーン(Wien)、下オーストリア州(Niederöstrreich)
訪問地: Wien, Strebersdorf, DeutschWagram, Parbasdorf, Markgrafneusiedl, Baasdorf, wien


 


快晴、黄色と緑が眩しい朝

   今日はウィーン市北東の田園地帯を目指す。 その田園地帯を流れるマルヒフェルト運河(Marchfeldkanal)を走ることにする。 運河の入水口を探してドナウ川沿いを走る。カーレンベルグの山が緑でむせ返っている。  

 今日はウィークデイだ。でも結構な数の自転車乗りがサイクリングを楽しんでいる。 こんな素晴らしい快晴の下で、走りを楽しむことができる自分は、なんと幸せな人間だとつくづく思う。  

 

 


運河沿いの道はダート道  

   運河沿いにサイクリング道路が併設されている。 マルヒフェルト運河自転車道(Marchfeldkanal Radweg)という名がある。 「Marchfeld」は、人の名前かと思った。よくよく、道沿いの看板を眺めていると、 これがこの地方の名前だとわかった。一つ賢くなった。

 自転車道は舗装道路を期待していた。ところがダート道の、結構、荒れた道だった。 先が思いやられる。一部分だけが未舗装か、それとも全部がそれかだ。私の自転車のタイヤは細い。 とてもデリケートだ。パンクの恐怖に怯えながらの走りとなる。  

 

 


水不足に苦しめられた地域

   道は平らだ。所々、尖った石が露出したところもある。石が多い場所では歩く。慎重に走る。 マルヒフェルト(Marchfeld)地方は、ウィーンのすぐ近くだ。かっても、今でもそうだが、ウィーンへの 果物や野菜の一大供給地だ。   

 ただ、この地方、干ばつには随分苦しめられたようだ。19世紀の中頃から、ドンドン地下水をくみ上げて 一時期は1,000本近い井戸から、地下水をくみ上げていたという。その結果は地下水の上昇だったという。  

 

 


  運河は、農業用用水路  

   この運河は、1984年〜1992年に造られたという。欧州の歴史からすれば非常に新しい。 言われてみれば、運河に掛けられた橋もまだまだ若い。土手に植えられた木々も、どことなく若い。 何んと言っても、土手作りを人間の手で一つ一つ石を積んで造ったという歴史の重みが感じられない。

 しかし日本の豊川用水(愛知県)と比べたら、運河は、自然をしっかり生かしており、 また、運河沿いに柵などはない。このあたり、自己責任が意識がしっかりしている。 「近くで遊んでも良いけど、死んでも知らないよ」との考え方がしっかりしている。



 


  おっと、菜の花畑を発見  

   運河沿いを走る。運河沿いのは知りは、基本的には高低差がそれほどない。ある意味、とても走り易い。 ただ、単調で飽きがくる。景色がドンドン変われば、それに気がとられて楽しい。

 ウィーンの街の近くには、菜の花畑は少ないと思っていた。ところが、今の季節、黄色が目につくせいか いろいろな場所で菜の花畑を見つける。まだまだ満開ではないが、これは十分、景色を楽しめる走りだ。



 


  「バグラムの闘い」の地  

   ドイチェワグラム(DeutschWagram)の村を過ぎる。 自転車道沿いの看板に「ナポレオン」という別名標記が現れる。 まさに、今から200年以上も前の話、「バグラムの闘い」の現場だ。

 フランス軍率いるナポレオン1世とオーストリア軍率いるカール大公の闘いの場だ。 1809年7月に、この地で35万人以上の軍隊が衝突し、双方7万人の戦死者が出たという。  「国破れて山河在り」の如く、今は、何もなかったように、春の日差しがサンサンと降り注いでいる。



 


サクランボ畑  

   道添にサクランボ畑を発見する。ちょうど花が満開だ。ちゃっかりと、「この1km先に農家があり、 そこでいろいろな果物を売っているよ。」との看板も立っている。

 サクランボかあ、もうじき、その季節になる。楽しみだ。



 


「バグラムの闘い」の激戦地   

   ドイチェワグラム(DeutschWagram)の村を過ぎると、 マルヒフェルト運河 (Marchfeldkanal) は、ルースバッハ(Rußbach)に名前を変える。

 パルバスドルフ(Parbasdorf)の村に入る。 まさに「バグラムの闘い」の村だ。村の入口に記念碑が立っている。ドイツ語のために 何が書いてあるかわからないが、どうも昔の英雄を称えているらしい。

 そして両脇が鬱蒼としげった森に入る。かっての小川かな。川沿いに土手がなくなる。自然な感覚感が大きく増す。 道沿いにベンチが一つあった。そこでビールを飲みながら昼食を摂る。  かっては35万人が戦った戦地は、今は、鳥たちが喧しいほど、さえずっている。 私が生まれていない、かつ、その頃生きた人は全員があの世に行っている。この一瞬をこの地で、私は生きている。



 


小さな村で、今日の走りは終わり  

   マルクグラフノイジーダル(Markgrafneusiedl)という小さな村に到着する。 時間は午後1時を過ぎた。村の中心部に第二次世界対戦の忠魂碑が立っていた。 12人の若者が戦死したとの記がる。いつの時代になっても戦争はなくならない。

 空に薄雲が出始めた。今日の走りは、この程度にしておくことにする。



 


思いっきり足に負担をかける  

   マルクグラフノイジーダル(Markgrafneusiedl)からウィーンの街まで、距離にして15km程度かな。 舗装道路だ。時折、大型のトラックや貨物車が走る。

 その道を、できる限りハイギアにして、足に負担をかけながら走ってみる。午前中、 平らな運河沿い道を走ったことから、少し、物足りなさを感じていた。

 道沿いは、黄色の花をつけた菜の花畑が見える。ウィーンの街の近くでも、結構、菜の花畑が 多いなあと思いながら走る。