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日付:2011年12月10日
場所:  オルレアン運河(Canal d'Orléans) ロワレ(Loiret)県 45

訪問地: Orléans, Saint Jean-de-Braye, Chécy, Donnen, Vennecy, Rebrechein, Forêt domaiale d'Orléans, Orléans


オルレアンの街は快晴

 パリから特急電車で1時間で着いた。12月になり、夜明けがドンドン遅くなる。 パリ出発は8時7分、空はまだまだ暗い。
 ラッキーの一言だった。
 夜が明けるにつれ、青空が拡がっていくのがわかった。オルレアン(les Aubrais)の駅に着いた時には、 空は雲一つなく晴れ渡っていた。
 先週の週末は、雨ばかりでアパートで腐っていた。考えてみたら、今の自分に 自転車を取ってしまったら何が残るのだろう。夜、飲み歩くのも嫌いだし、人と交わるのも 大嫌いになってしまった今の自分に、外に出て走れない週末はとても辛い。
 「親友が欲しければ犬を飼え」と誰かが言ったが、犬の飼育はめんどくさい。 それならば、無機質の自転車の方を相手にしていた方が、うんと楽だ。
   

 さすがにここは、自転車通行禁止  

     ロアール川の右岸を、オルレアンの街から上流に向かって走ると、しばらくは細い土手が続く。 ロアール川航行用の水路のようだ。上流にいくと、案の定、ロアール川とセーヌ川を結ぶ 運河に繋がっていた。  この水路とローアール川の本流との間に、幅1メートル程度の道が造られている。 さすがに、この狭い幅では自転車は危険なようで、「自転車通行禁止」 の交通標識が堂々と飾られている。  土曜日、川沿いはジョギングする者、ウォーキングする者が頻繁に行きかう。
 久しぶりの冬の晴天、多くの人たちが川沿いでくつろいでいる。
   

   これは驚き、自転車専用の通路

 サンジョアンの町を通過すると(Saint Jean-de-Braye)オルレアン運河に入る。運河沿いの道を数キロ 走ると空腹を感じ始めた。
 運河沿いの道を離れ、チェッシー(Chécy)の町で道草をすることにする。 チェッシー(Chécy)の町は高台にある。高台に登ろうとしすると、びっくり するものを見つける。
 なんと、階段の横に、自転車の轍に合わせたレールがひかれているのである。
 フランスは自転車文化大国とは、よく言ったもので、こんな田舎で、こんなものを見つけるとは 驚きである。こういうものを見ると、日本の自転車文化がフランスのそれに追いつくには、 あと1000年は必要な気がする。

 このマニアックなまでに、自転車スポーツを大切にしてくれる 気持ちはわかるが、このレールの上の自転車を曳いて登るのは、結構な体力が必要である。 「誰が、こんなもの、使うのだろう」と思いつつ、試に必死に押し上げた。


  ロアール川とセーヌ川を結ぶオルレアン運河

   冬の木漏れ日が降り注ぐ美しい風景だ。こんな風景がずーと上流のセーヌ川まで 続いていると思うと、すべての計画を変更したくなる。ずっとこのままこの景色の 中を走っていたい気分になる。
 運河沿いの所々に、運河の歴史、運河航行のしくみ、周辺の自然を記載した 立て看板がある。

 この看板の記載によれば、運河の全長は約80kmだ。この運河から他の運河に船で移動することで、 パリにも行ける。南仏まで行けるという。すごいものだ。  掘削は17世紀の後半、木材と石炭を運んだという。17世紀後半と言えば、織田信長や豊臣秀吉 が天下統一を目指していた頃だ。その頃からずっと、この運河を船が航行していたかと思うと、 いやはや人の一生とは、なんとはかないものだろう。  


 オルレアン運河を離れ、北上

     あまり、運河沿いを離れすぎると、今晩の宿泊地のオルレアンから遠のいてしまうので、これはまずい。 今の季節、あっと言う間に夕暮れになってしまう。特に、午後の走りは、しっかりと時間を意識して 走らないと闇の中を走る羽目になり、これはとても危険だ。

 オルレアンからシャルトルにかけて拡がる平原地帯を、ボース(Beauce)地方と呼ぶ。 フランスは、今もそうだが欧州有数の農業国だ。農業生産の大黒柱は、このボース地方である。

パリからシャルトル方面、またはオルレアン方面に電車で走ると、地平線の 彼方まで、畑が広がっている風景に出くわす。まさにボース(Beauce)の風景である。
 一度、この風景の中を自転車で走ってみたい思いがあり、やっと、実現した。
 しかししかし、単調過ぎる。すぐに飽きてします。



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