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日付:2010年7月31日
場所:Monthyon (Seine et Marne:77)
訪問地: Meaux, Chauconin-Neufmortiers, Villeroy, Montyon, Cuisy, Montgé en Goëe, Saint-Mard


 第1次世界大戦激戦地

 2週間前は、雨で、途中放棄したルートにまた来た。それにはモンティヨン(Monthyon)まで、行かなければならない。2週間前と 同じ道を通るのも味気ないと思い、地図上にマークがされている第一次世界大戦記念碑を訪れていくことにした。
 フランスの各都市の市庁舎の前には、かならず忠魂碑がある。碑には、過去の戦争で戦死した兵士の名前が刻まれいる。 フランスにとって、すぐに降伏した第二次大戦と比べ、第一次大戦では多くの戦死者を出した。ここビルロイ(Villeroy)の村は、 今から100年前、大戦開戦時(1914年9月)にフランス兵とドイツ兵が対峙した場所である。 今は、「・・山河あり」の状況で、綺麗に整備された兵士の墓のまわりを包むように麦畑が何もなかったかのように拡がっている。
   当時、戦争を生き延びた兵士も、もう、この世にはいないだろう。1日、そして1年、やがて100年が経過する。時間を前にして、 人間の命は、なんとはかないものなのか。

 明日からバカンス

 モンティヨン(Monthyon)の村に1軒だけ飲み屋がある。前回、来た時も、この飲み屋でビールを飲んだ。 今回も、実は、それが楽しみだった。
 店の前に自転車を停め、店の中に入る。お客は全部で8人程度、たいそう賑やかである。年配の村民のみならず、若者までが、昼間っからワインを飲んでいる。 お客は、他人について関知しない。人に迷惑がかからなければ、何をやってもよい。ひとそれぞれ、幸せの価値は違うことを、はっきり、 各人が自覚している。
 ところが、2週間前の女将の姿がない。どうしたものか、みんな静かに待っている。しばらくして店の奥から出てきた。「今いくよ」との 返事。「ビール1杯お願いします。」「あいよ」と慣れた手つきで入れてくれる。 店のお客との会話を聞いていると、どうも、この女将、明日からバカンスを取るらしい。3週間は店を閉めるという。店を出て、外から眺めてたら 8月1日から22日まで、やすみを取るとの掲示。ゆうがだなあ。

 収穫の秋

 道を自転車で走りながら気がついた。道端の草花が枯れ始めている。水枯れだろうか。ほんの2週間前には、こんな風景ではなかった。 刻々と季節は移り変わっていくことを実感だ。狩り終わった小麦を束ねて畑の真ん中に放置してある。7月末とはいえ、もう秋である。

 傾いた教会とポルトガル人家族

 今日、2軒目の喫茶店である。なにか、ビールを求めての「アル中日記」の様相を呈した旅記録だ。
 暑いし、道にも迷ったので、開店しているCafeに入る。時間は昼下がりの2時半。このCafeは、レストランも経営しており、 ちょうど、ランチのお客が退散した間際のようで、店の中は、忙しそうに人が動いていた。「すみません。ビールを一杯、お願いします」 と言うと、親父が「はいよ」と言って出てきて、1664銘柄の生ビールを出してくれた。近くに子供が、グズねており、訳のわからない言葉を 喋っていた。「この子は、イタリア語喋るのか?」と聞いたら、「いや、ポルトガル語だ」。我々は、ポルトガル人だよ。と教えてくれた。 ラテン系の言葉とはわかったが、まさか、ポルトガル語とは気がつかなかった。
 店を出て、酔っぱらった頭で、いろいろ考えた。どう見ても、教会が歪んでみえるのである。後々、写真で見ても、やっぱり、歪んでいたのが わかった。ゴッホの絵ではないが、ものが歪んで見え始めたかと思った。

 電車は2時間後

 今日の走りの終点であるサンマール(Saint-Mard)の街に着いた。時間は、午後3時過ぎ。駅の切符売り場の窓口に、 お姉さんがいたので、「パリまで切符1枚、お願いします」と言う。そのお姉さんは、とても親切で、
「次の列車は5時24分だよ。いいの?」と聞いてきた。
「ということは、2時間後ということですか?」と聞き返すと
「そうだ」と答える。「月曜日から金曜日までは、4時台に1本、パリ行きの電車があるけどね」と教えてくれた。
 2時間待ちと聞いて、びっくり。ほんの数キロ離れたシャルルドゴール空港まで行けば、10分毎に列車が出ている。
そこまで行こうかなとも思ったが、 まあ、気長な一人旅。2時間待つのも良いじゃないかと自分に言い聞かす。
 サンマールの村の周りの畑を散歩する。シャルルドゴール空港に着陸する大型飛行機が、ひっきりなしに頭の上を通る。 でも空の青と雲、森の緑、畑の黄土色。なんと綺麗な風景なことか。