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年月日:2004年2月8日(日)
走行ルート:<千葉県富津町>
自宅〜久里浜(JR)〜金谷港(東京湾フェリー、輪行)〜上総湊〜東京湾観音〜富津岬〜JR木更津駅〜アクアライン(輪行)〜横浜〜自宅館山道市原インター〜大多喜〜刈谷〜発坂峠〜大原〜日在浦〜大舟谷〜小沢〜布施〜山田〜大多喜〜市原インター〜自宅
天気:曇りのち快晴
開始:7:00
終了:14:00
走行距離:約60Km
コメント: 横浜から行きは久里浜経由で東京湾フェリーで金谷港、そこから木更津まで走って、アクアラインで帰ってきた。車を運転しないからバスの中でビールを飲む。これがうまい。ついでに昼寝。なんとまあ、贅沢な休みだろう。




 フェリーの降りて、浜谷から上総湊までを走る。国道127号を北上する10Km程の行程だ。この国道は、道幅が狭く車通りが激しい、その上に歩道も貧弱だ。山が海岸までギリギリに迫っていることから、これはどうしようもないのであろうが、なんとかならないものだろうか。インフラの整備が、地域への観光客誘致につながることは、重々承知のことと思うが、なんとかしようと努力が見えないところがよくない。演歌歌手の公演とプロレス興行でしか使われない「文化会館」を、そこらじゅうに建てるより、まずは歩道の整備が大切だ。

 実は、この国道は、何度も走っている。不思議なことに、走るたびに新しいものを発見する。今回は、このガジュマルの木である。屋久島が北限と聞いていたが、誰が植えたか、写真のごとく健在である。さすがに、冬の霜が大敵らしく、工夫はしているが、枝ぶりからして10年位は、大事に育てているようだ。こういう地道な努力をする人は偉い。



 「上総湊海水浴場」は、浜ヒルガオが自生する海岸である。もちろん、今の季節には咲いてはいない。初夏が季節と言うから、一度は来てみたいものだ。海岸は、下草が枯れて、ちょうど北海道の晩秋の海岸風景だ。夏の喧騒は程遠く、うら寂しい海岸に一人だ。家では子供がうるさく騒ぎ、会社では人と接するのが仕事だ。一人になる時間がない。

 あまりにも沢山の人と接することから、一人一人との付き合いが雑になる。これはよくない。たまの日曜日、ほんとに、サイクリングを楽しむこの一時を、重宝している。近くに酒瓶が落ちていて、そこに霜が付いていた。房総でも、こんな海岸近くでも、霜が降りることを知った。



 この前門を見た時に、思わず、うなった。「なんじゃいったいこれは」と度肝を抜かされた。なんと、生のイヌマキの木を利用して、門が造られているのである。それも屋根付の絶品の仕上げである。これには驚いた。写真を撮りに、その家に近づくと、おばあさんが一人、その門の後ろで、日向ぼっこをしていた。

 「写真を撮らせてください」と言うと、「あんまりないでしょ、こういうの」と質問された。「こりゃ、日本に一つだけですよ、絶対に」と答える。関東地方を、結構、小まめに走りまわった経験からしても、このイヌマキには脱帽だ。しかし、イヌマキの木にとっては、こんなことまでやらされる運命に、とんだ災難か。



 富津岬の近くに、第一海堡、第二海堡があることは知っていた。昔の仕事が、「船」関係だったことから、富津岬や海堡名など、よく耳にした。しかし、見たことはなかった。一度、訪れてみたいものだと考えていた。二つの海堡は普通の島である。ただそれだけだった。少し、落胆。富津岬の海岸は、小貝交じりのきれいな砂だ。冬のせいか、海水も澄んで思ったより、美しい海岸だった。ここで食事をしようと、ストーブを出して水を沸かし始める。

 ところが、砂の上に直に、ガスタンクを置いたことがよくなかった。しばらくすると、1.5Lの水を載せた鍋は、安定さを失い、砂の上にボトリと落ちて中の湯はこぼれた。あわれ一貫の終わりである。ああ、昼飯どうしよう。近くにトイレがあったことに気づく。トイレの洗面所の水を使うことを考える。どうしよう、どうしようかと迷う。そこまでやるかと考える。でも、結局、煮沸すれば同じだと自分に言い聞かせて、その水を使うことを決定する。若い頃、サハラ砂漠で鍛えたおじさんの腸内細菌に、「腹痛」という言葉はない。