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年月日:2002年6月2日(日)
走行ルート:<東京都青梅市>
(JR小机駅からJR八高線拝島駅まで輪行)羽村市旧下田家住宅〜青梅市旧青梅街道〜青梅市旧宮崎家〜青梅市郷土博物館〜吉川英治記念館〜JR青梅線沢井駅(JR小机駅まで輪行)
天気:晴れ
開始:7:20
終了:13:00
走行距離:約40Km
コメント:6月になり、暖かいというよりは暑くなってしまった。ある意味で、サイクリストにとっては、汗ダクダクを強いられる辛い季節が始まった。今週からは奥多摩を走ることにする。奥武蔵は、しばらく休憩だ。少し遠い。


緑にむせ返る玉川上水

 JRの拝島駅から多摩川沿いを上流方向に登ると、羽村市内で町内掃除に励む集団に出くわす。古タイヤ、空き缶、コンビニの袋など、こんなにもと思うほどの量のゴミが山積されていた。ちょうど近くに玉川上水沿いに茂みがあり、これが絶好のゴミ溜めになっているようだ。

 「玉川上水」は、旧番屋跡の説明文によれば、江戸時代の初期に作られたとのことだが、当時のお役人は、まさか350年後の世界で、運河沿いがこのように使われるとは思いもしなかっただろう。しかし先人達の努力故に運河自体は立派だ。

多摩川の土手で考えた

 数年前、小田急線沿いの向ヶ丘遊園の近くに住んでいた。娘が幼稚園児だった頃で、散歩がてら、石を投げに登戸の河原までよく遊びに行った。人間の頭程の石を川に投げ入れる際の、「ドボン」という迫力ある入水音に「キャー」と言って驚く娘の姿が印象的であった。

 娘は小学生になり、しだいに友達と遊ぶようになる。親と遊ぶ時間も少なくなり、二人で共有できる楽しみも、今ではほとんどなくなった。登戸から数キロ上流の多摩川の河原は、子供づれの家族が多い。天気は上々だ。「行く川の流れは・・・」と、時の流れを感じた。

昭和30年代にタイムスリップ

 東青梅から青梅駅の旧青梅街道を走っていると、昭和30年代によく見た映画の宣伝看板を見つけた。ほんの数年前までは、街のあちこちに手描きの宣伝看板を目にしたが、最近は、あまり見かけないようになった気がする。

 最初の一枚を見つけた時は、誰かが興味本位に店の宣伝で飾っていると思ったが、青梅駅方向に進むにつれて、あちにもこちにも、この宣伝看板を見かけるようなった。これでわかったが、町内会で、レトロの雰囲気を前面に出していこうというのが魂胆らしい。一枚一枚と手描きの宣伝看板を楽しませてもらったが、その当時、このような絵師は、全国にどれほどいたのだろうか。

吉川英治の書斎

 「新平家物語」の全巻を2年前に親父から貰い受けたものの読む機会がなく、家の書棚で埃をかぶっている。吉川英治が書いたことは知っていたが、そのあまりの量の多さにひるんでいた。青梅市から多摩川の右岸沿いを登っていくと、偶然、吉川英治記念館に出くわした。サイクリングの途中で見つけるその地方の郷土資料館や記念館には、何となく入ってしまうのが、私の走りの特徴だ。

 その記念館の敷地内に生前に使っていたという書斎があり、その書斎で「新平家物語」を執筆したという。机の上には、なぜか中国の三東半島の地形図があり、その上に虫眼鏡がなにげなく置いてあるところがにくい。この生々しい書斎を見たとたんに、「新平家物語」を読み始める決断をした。